そもそも「生まれ変わったら」という言葉を言い訳に、好き勝手に意見が言いやすいのでは?という気持ち。
「じゃ、それを今やってみようよ」という切り替えで、さて学生はどう反応するか?
今は情報が多すぎて疲れちゃうよね
今の大学生はいろいろなストレスに囲まれていると思う。僕らの大学は「自由だ」と言われていたけれど、それでも「世の中の常識」みたいな物に付きまとわれていた。明確な就職先を挙げられるわけでもないのに、なんとなく就職活動をしてみたり。エントリーシート書いてみたり。今思えば馬鹿だと思う。
自分の希望や野望に向かっての努力はすべき。とことんトライしてその場での全力を出し尽くすべきだ。でも、なんとなく周りに流されての判断だとするならば、振り回されている時間ほど無駄なものは無い。
やりたい事は無いの?って意地悪な質問だよね
「今やりたい事」その質問はある意味究極の質問であって、なかなか答えにくいのは想像できる。本音としては「やりたい事」は沢山ある。でも、口に出すことが恥ずかしいというか、怒られるのでは?というか、『くだらない事』とどこかで決めつけてしまって、自分の心の奥底に大切にしまいこんでしまいがち。すると「やりたい事、無い気がする」って解答になっちゃうよね。
それが「生まれ変わったら」という言い訳を用意してあげると、大切にしまいこんだ細やかな希望や野望が這い出してくる。気がするんだよね。
でもそれって、本当は「今やりたい事なんじゃないのかな?」ってのが僕の気持ち。
輪廻転生はよく分からないけれど、今の僕には前世の記憶は無いのでw、やっぱり「生まれ変わったら」と言いつつも、やりたい事は今のウチにやっておいた方が良いのではないだろうか?
大学ってなんの為に行くのだろうか?
大学って今でもよく分からない場所だなって思う。義務教育では無いから、本来は自分の選択で全てが決まるべきなのだけど、なぜか強制される授業があったり。「単位」ってモノに振り回されたり。なんだかな。大学に進学することで「卒業」って大切なひとつの目標ではあるのだけど、勉強は卒業してからもずっと続くから、その4年間頑張ったところで楽になるとか、あんまり無い気がするんだよね。逆にそこで安心しきっちゃう方が恐い。
会社に入ることが目的なら、それでも良いけど、入ったところで文句ばかりFBに流し込む様な人間にはなってほしくないよね。全ては自分の選択の結果。
望んだ結果が今のはずだから、そこをウダウダ言う輩は僕は苦手なんです。
脱線したね。
そう。なので、そんなカタチで学生の本音が引き出せたら面白いなって思うのですよ。
大学卒業が「大学卒」って就職に向けた肩書のためなら、その大学の在校生数千人と同じどんぶり勘定でしか評価されない場を望むってことになるの。わかってほしいな。
「自分を見て評価してほしい」って人間は、就活とか以前に募集されていないインターンやらバイトやらで潜り込んで、その職場で結果だしてるもんだよ。