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20160629

高尾山を「低い山」と馬鹿にして登ったら、現実は全く甘いものではなかった話

高尾山口の標高は191m程度らしい。高尾山山頂は599m。だから実際に登る標高差は408mですね。都心部から電車で気軽に行ける山のイメージがあって、東京では有名な山のひとつだよね。
八王子育ちの僕は小学校の遠足で登ったのを覚えている。4年生くらいだったかな?

今日、八王子で用事が済んだのが15半頃。雨上がりの曇空だったけれどもピーカンより良いかなと思って、高尾山を目指して移動していました。登山って何年ぶりだろう。

高尾山付近の駐車場は色々あるけれど、平日であれば「京王高尾山温泉 極楽湯」の駐車場がオススメ。施設使用であれば3時間無料で高尾山口駅直結の立地。山登りの後は温泉とか最高でしょ?どうせ入りたくなるのだから、初めから入れちゃう。
ちなみに施設利用料金は1,000円でした。(シーズンによって値段が変わるとあるけど、その期間はよく見てません)


まずは登山ルートを決める


高尾山口駅を出てすぐにある看板でルートを確認。今回は雨上がりの道ということもあり、安全牌として初心者向けという「1号路」を選びました。写真の紫色のルートですね。

高尾山口駅からケーブルカーの乗り場付近まで向かうものの、肝心の登り口がわかりません。。。これ海外の方とか分かるのかな?せっかくミシュラン載っているのに、ケーブルカーのルートしか分からない。


正解は蕎麦屋の前の石畳の道を登る。写真は下山時に撮ったので白いゲートが閉まっていますが、ここから登っていきます。ちなみに夜間も歩行者なら登れる様ですね。

このゲートに向かうまでの石畳で実は心折れました。「あ、山って斜面を登るんだね」と、当たり前の事に身体がうまく反応しません。
日頃の運動不足と体重増加が負荷でしかありません。でも登ると決めたのだから無理でも進もう。


なんで高尾山に登るのか?

昔読んだ本の中で、パリ・ダカールラリーの三菱ワークスのドライバー増岡浩さんか、篠塚建次郎さんか忘れたのだけど「台風の日を狙って、よく高尾山にマウンテンバイクで遊びに向かった」という一節を突然思い出したから。

プロのレーサーとは言え、自転車で登り下りする事が可能なら、運動不足の一般人でも徒歩でなら登れるのではないか?実際小学生の頃に登ってるし「低い低い」と言われる山だし。と。

で、現実を突きつけられて驚いた。確かに数値的には標高は低いかもしれないよ。でも、これはキツイ。結果から言えば、特に登り始めからケーブルカーの到着地「高尾山駅」の道のりの傾斜が想像以上にキツかった。

突如登ろうとした自分を恨みつつも、自分を試されてる気もして諦めるのは途中から嫌になった。「高尾山登ろうとしたら、途中で挫折しました」ってオチも良いかなと思ったりしたけれど、これは自分との戦いだなと思って。

ケーブルカーの到着地点「高尾山駅」まで着いてしまえば、あとはそれほど急勾配はありません。サル園・野草園を通り過ぎたあたりで「4号路:吊橋」と表示を見つけました。


高尾山にある吊橋を見たことがあるか

実は高尾山に吊橋があることを知りませんでした。常識なのかな?
今回知っちゃったから、そちらのルートを選択。やっぱり楽しい道を、好奇心に正直に道は選ぶべきだよね。道は舗装路から完全な山道へ。景色は山です。居心地よかったね。


こんな景色の中を進みました。永遠に続くかと思うほど、凄く緑が濃い。登った時間も気温も低く汗だくの身体には心地よい気候でした。この日を選んだのは良かったのかも。雨の日は羽が濡れるから苦手な虫も少ないのですかね?そうしたダメージを一切受けることは無かったですよ。

山頂を目指すルートなのに、看板があった分岐点から下り道がずっと続き、「せっかく登ってきたのに勿体無いな」と良くわからない気持ちになりながら目の前に現れたのは小さめだけどしっかりと「吊橋」でした。

高尾山の吊橋

下は沢が流れてたかな?目の前の吊橋に興奮しすぎて下を見てません。。
ちょっとジャングルっぽいし、このタイミングで17時を過ぎていたし、雨の後ということもあって人は全くいません。この「大自然を貸し切り」という贅沢な時間。

高尾山の吊橋

橋の上を歩きながら、ちょっと歩みを止めると自分の動きに反応した揺れの惰性が感じられる。この揺れるリズムが吊橋の楽しさだよね。しっかりとした橋だから楽しめるのだけど。


無駄な考えは全て吹っ飛んで、自分と向き合う時間

この先は想像通り、分岐点から降りた分だけ上り坂が続きました。。。山頂へ向かう道は木の根も飛び出す様な山道。他の登山者が居ないのは気持ち良いのだけど、看板が減ってくると不安で仕方ない。

これだけ無我夢中になったのはいつぶりだろう。年齢を重ねるウチに、仕事でも運動でもセーブする癖が付いてしまった。「いざとなったら動ける様に体力を残す」みたいな理由で体力を出し切ることを、いつの間にか止めてしまっている事が多い。結局普段から動かしてないと、いざとなった時に動かないんだけどね。

大げさだけど、それでも体力の限界に近づいて、頭の中では無駄なことは全く何も考えられなくなって、ただひたすら「山頂へ」と向かう気力だけが支配する時間。邪念が消える瞬間。

最後の最後で「この先に本当に山頂はあるのか?」「あったとして、残りはどれくらいなのか?」「そして、この雨や時間帯によって道が閉鎖されることは無いのか?」「そうしたらまた来た道を戻るのか?」「戻っても山頂を目指すのか?」
など、グルグルと滲みったれた考えをめぐらしていたら野良猫が歩いていた。こちらを見つめている。


コイツ、俺が尋常じゃない汗をかいて息を荒らして登ってきた先で、普通の顔してすましてる。毛並みもキレイなコイツと、汗を絞れるほどに濡れたTシャツを着た僕と対照的な絵面だった。コイツには、僕が哀れに見えているかもしれない。
自然の中でこんなに弱いなんて、悔しくて仕方ない瞬間だった。悔しいけど、この小さな猫が凄く強くたくましく見えた。

すると、突然舗装路へ出た。猫に会ったのは山頂のすぐ手前だった。
興奮して最後の傾斜を走るように登った先に「山頂」のモニュメントが起立する。


登山口からは70分。長く続く傾斜を登って感じたこと。



このモニュメント、正面に表記がある(写真で見ると左側にもあるのかな?)けど、どうしても背景に自動販売機が入ってしまう。
記念撮影としては山頂からの眺めか、せめて今まで歩いてきた緑が見えて欲しい。と、カメラを構えながら考えてた。(どーでも良い。)

ここまで登山口から70分くらい。運動不足でもちょっと遠回りしてこのタイムなら、普段からウオーキングやランをしてる人ならもっと楽だろうね。
確かにプロレーサーなら自転車担いでも楽に登ってこれる距離だと思う。しかし傾斜の負荷は半端無かった。


必要なアウトプットとインプットを山は教えてくれる

山頂では霧が薄くかかり、緑も茂っているので眺めは期待できず。そのまま下山することに。帰りのルートは素直に「薬王院」を通るルート。ここからは全て舗装路なので、歩くのは難しくは無いけれど、クッションの悪い靴は身体に響くね。今日はラン用の靴だったのだけど、それでも地味に衝撃はダメージとして蓄積されていきました。

一切の写真は無いのだけど、途中で通る「薬王院」が素晴らしかった。
雨上がりのしっとりとした中で、薄曇りの光がとても幻想的で、天狗像や仁王像のある門の辺りがとても心地よかった。心地よい詩的な映画のシーンに居るような、汗だくの自分の姿を忘れて、ちょっぴりスクリーンの主人公気分。

しばらくそこで佇んでいた。物凄く心地よい空気だった。この時色々考えたよ。
人はこんな「無」のインプットも必要かもしれない。とか。
聞こえる鳥の声、風の音、土と木の濡れた匂い、自分の足音。入ってくる情報として「無」どころか物凄く多いのだけど、自然と強制的に向きあう時間。都市の中で受ける情報と全く性質が異なる時間。

どんな職でもアウトプットするには、インプットが必要だ。自分はクリエイティブ職として、生み出すことを求められるのだけど、その為のインプットは人と会ったり、技術を知ったり体験したり。多くの作品や商品を見て触れて、色々な時間を過ごしてきたけれど、こうした時間が大きく欠けてたことを感じた。

ドライブで奥多摩を走ることはあるし、富士山の林道を進む時間も好きだけど、クルマではなく自分の脚で感じることの違いを知った気がする。

108段の煩悩の数と同じ階段を下り、無事下山。
この下り坂だよ。降りる時に体重がモロに脚に響くから、疲労は上り以上かも。


静かな時間だったな。って写真を見て振り返る。
登ってみて良かったです。確実に明日は筋肉痛だろうけれど、機会があればなるべく登るようにしてみよう。
健全な身体に、健全な精神が宿るって言うけど、本当その言葉を表すように頭がスッキリしていて気持ち良い。

下りも60分くらい。結局2時間半で登って降りてきた感じ。
帰りの運転はアクセル踏む右足が攣りそうになるくらいだったけれど。

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