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2017年8月21日月曜日

「これってお金になるんじゃないか?」って発想こそ、その人を育てる

北海道時代、ヒッチハイクを求めてくる人が普通に居た。地元の人達も日常的に乗せたりしてた。そこで記憶に残ったやりとり。
「お金が無いから飯をおごってくれ」というヒッチハイカーに対して「お金が無いからって理由じゃおごれない。でも、もし僕を楽しませようと、たとえば漫才をしたり、マジック見せてくれるなら、その対価として支払うのは良い」って返したらしい。
なんか物凄く腑に落ちたやりとりだった。

「お金が無いからお金をくれ」って言うのって、物凄く無能感あるなって思う。でも何か一芸をして「その対価としてお金をくれ」ってのは、普段の仕事と同じじゃないか。そこに社会がギュッと凝縮されている気がした。

最近、国が力を入れているからか、「子どもの貧困」に対する記事や広告を目にする。そんな中でこのエピソードを思い出した。

例えば自然災害などで困っている人たちへの募金などであれば、その時の自分の気持ちとして何の見返りも求めず出すことは心地よいものだったりする。

しかし、もしお金を求める側だったとしたならば、誰かからお金を得ようとする時に「金ください」って言って、すんなりもらえるとは思えないし、万が一にもらえたとしても、金額的にも効率的にもよろしくない気がする。
だったら「僕はこんなことが出来るけれど、対価としてお金をもらえますか?」って事がシンプルであって、相手にとってみても嬉しい結果が手元に残るカタチとなる。

じゃぁ、一芸を持つべきか?と問われると、そうも言い切れないかなと。
もちろん「一芸(才能)」は分かりやすくプレゼンしやすい。ただ、これを読み間違えると「資格主義」な世界にまっしぐらな危険性もあるよね。

では、何が必要?と僕が考えるとするならば「発想力」だと思う。

アイディアは元手が掛からないし、無から生み出せるものだと思う。もちろんその発想の為に色々と経験や知識も必要だけれども、そういったものだけで無限に生み出せるものだと思う。

「これってお金になるんじゃないか?」って発想こそ、その人を育てるのでは?

その生まれた発想の為に必要な技術やスキルはその時から学べば良い。技術やスキル、ましてや資格を持っていても、発想が無ければただの肩書でしかない。

もし、現在の環境から何らかの理由で抜け出したい時、一番裏切らないのは「自分」であって、その時に力になるのはいつも「発想力」だと思う。

2017年8月19日土曜日

iMacのロジックボード交換

Macを初めて友人から買ったのが19歳とかだから、かれこれ20年以上Mac使ってる。何度か大きな変更で戸惑ったりもしたけれど、また最近Windowsを並行して使い始めて、あらためてMacの良さが分かった気がする。

理由としては、なんてこと無い習慣的なことだから「やっぱりWindows」って人と意見は大きく変わらない気もするけれど。

現在のマシンはiMac 27inc 2015Late(ところで去年買ったのにモデル的に2015になるのはあまり気持ちよくない気がしている)今回は使用中に突然画面が落ちる(スリープ状態になる)というもの。
買ってすぐに症状が出てしまったのだけど、立て続けに繋がる仕事から修理に出すのを躊躇していた。そんな感じで半年近くだましだまし使ってたけど、いよいよってなって、ようやくDAIV(mouse製)Windowsのノートを購入。(理由はiMacの正反対のモノを購入したかったから)修理に出した。

修理に出したのが17日昼。Appleに到着が18日。即日修理で出荷。19日のお昼に帰ってきた。このスピードだったら、仕事のこと考えずにもっと早く出しておけば良かった。
で、そのiMac君でこのブログ書いてる。

スリープになる原因は熱による自己防衛なのでは?って考えていたのだけど、人間が寒いくらいの環境でも症状が頻発したから、とりあえずこのまま様子見しましょう。

Macを修理センターへ出したのは、G4以来か。あの時はなぞの「キーボードがUSとして認識されてしまう」現象だったのだけど、どうやら追加していたSCSIボードが悪さしていた模様。何度も行ったり来たりしつつ、抜いたら治まった。

今から思い出すと、あの時は代替機としてiMac(初代かな?)を出してもらっていた。今はそれが無いから躊躇する。
「レンタルって手もあるよ」って意見もあったけど、修理に何日かかるか予測出来ない状態では、それも躊躇する。うん。基本的にケチです。

HDDやSSDはそのままなので、修理に出すために削除したデータを戻し中。
さて、この後にちょっと負荷のかかるレンダリングで修理後のチェックです。結果はいかに?

人脈を活かすのは新鮮なうちに

久しぶりにサマーウォーズを見た。この映画を見るといつも思い出すのが「つながり」についてのこと。
比較的閉鎖的なunder20を過ごしたけれど、社会に出てから同じく20年。それなりに多くの人達と顔を合わせてきた。色々と仕事をしたり、遊んだり、食事をしたり。いろんな立場の方が居て「自分の人脈も広がってきたなー」なんて考えていたのが30代かな。

そう、SNSだったり、たまに顔を合わせたり、パーティーで同席したりとか、一度作った「つながり」も大事に継続しているつもりだった。だったんだけどね。

「あの人に相談したら、こんなこと出来るかも」「こんな話が来たら、あの人を巻き込んで面白くしよう」とか、仕事でなにかしらの企画を考える時に、空想の世界に漂っている時間があったんだけど、、、この「じゃ、実行しようか」って事がなかなか発生しない。

「いつでも出来る」って思い込んでることで、結局いつまでもやらない。
そればかりか、突如飛び込んできた問題にぶちあたって、「この内容だったら、あの人にそうだんだな」ってなったとしても、実はその人は会社変わってたり、ぜんぜん違う仕事してたりするし、出会った当時ならまだしも時間が経ってからのディープな相談が切り出しにくくなっていたり。と。まぁ、後半は人間関係の面でね。

そう、よく名刺交換会を馬鹿にしてたりするけど、それなりに深い付き合いからの繋がりであっても、人は変わっていくのですよ。いつまでも自分に都合よく、そのままで居てくれるなんてことは無いんです。

だから、「この人とだったら、こんなこと出来るかも!」って思った瞬間にメールでもメッセでもいいから、とりあえず連絡して動き出すのが大切。その時しか出来ないことが多いから。

仕事で出会って苦難(笑)を一緒に乗り越えた上で、「この人気持ちいい人だな」って思ったら、すぐに次に向かうくらいの事を続けていくくらいがいい。
時代は変わるっていうけど、人も変わるのよ。自分だって変わってるでしょ?5年前にやってたことと、今やってること違うじゃないか。

2017年8月11日金曜日

本気で生きるのは自分の為だけに

最近の環境がたまらなく良い。新しいことへ挑戦させてくれる。そして応援してくれるし、全てを信頼して任せてくれる。最高の環境が整っている。
僕自身としては、丁寧にひとつひとつに向き合う事で最大限出来ることを注ぎ込む。

常に本気で生きる人に囲まれている。無駄な時間は一瞬として無い。
他人に期待を押し付けることもなく、常に思い描く世界を実現させる為に出来ることを考えている。トライアンドエラーの繰り返しの中で、常に前向きに突っ走ってる。

誰かの期待に応えるような生き方でも無いし動き方でもない。その姿を近くから見ているだけで刺激を受けまくってる。

なんとなく人生の半分を過ぎたかなって思ってるのだけど、そんなタイミングだからこそ、もう無駄な時間は無いなって強く感じる。

若い頃こそ「誰かに褒められたい」とか、「認められたい」って気持ちはあったけど、それによって痛い思いをしたこともあったりする。
誰かの期待に応えようとする行為は、結果的に何も生み出さないってことも多いし。そこに期待してしまうと、結果的に悲しい気持ちになったり、怒りにも似たおかしな感情を持ってしまうこともある。勝手な行為なのだけど。

「仕事」が何を指すのか、人によって異なることがこの歳になって分かってきたのだけど、「仕事」が生活や趣味の時間を奪うモノと感じている人も居れば、「仕事」こそが楽しみや快感である人も居る。
この部分が異なる人同士で「仕事」という話が成立しないのも最近分かってきた。いくら近い人でも、人として好きだったとしても、永遠に交わることは無いと思う。

映像を仕事として請け負うことになってから、「おまかせで」という注文が多い事に驚いている反面、この点に強くやりがいを感じている。
依頼者は「これを撮ってほしい」という注文はあれど、構成や画作り的な部分の一切に関してのオーダーは少ない。

僕のところへ依頼してくれる映像の仕事に関しては、完全に作品づくりであって、作家として立場なのだと感じている。そう「作品づくり」なんだよね。

だから、「出来ました!」と見てもらうときの反応は毎回ドキドキとする。ものすごい緊張感でもあるのだけど、自分の全てを注いでいるのだから、その時その時の最高のモノ。これが依頼者の要求を満たしていなければ、それは僕の力不足ということになる。更に成長しない限り、いまは応えようが無いということでもある。
そんな潔さも持ち合わせていたりするから、不思議とストレスは全く無い。

「より良いモノを生み出すには」それだけを考えて、時間を過ごすのが今のタイミングなのだと思う。
物凄く気持ちよくて、エキサイティングで、楽しくて、嬉しくて、素晴らしい時間。

やっぱり「つくる」時間は好き。出来上がるモノは全てその時の「自分」でもある。
いつも思うけれど、人生の中で「今が一番」好き。

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