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20150731

自分に必要な情報は半ば強制的に届けられるモノであるべきなのでは?そこに他人による選別(キュレーション)は必要無いかもしれない。

「マッカーサーの使ってた部屋」というのが一般公開されたとニュースを見た。この時驚いたのは、かなりの年配の男性が見学に来ていたこと。
子供ながらに戦争を体験されてる世代か?と思われる歳と思われました。
何に驚いたのか?それは、その方の好奇心とフットワーク。そして、情報収集能力。
普段は見れなかった場所を一般公開。というだけで、ちょっと気になる。でも、僕がその情報を知ったのはそのニュースであって、そこに来ている人達は事前に知っていた。
どこからその情報を得たのだろう?こういう時に想定するのは「紙の新聞」だろうと思う。
隅々まで読むと、こうした情報が小さな記事で扱われている事がある。本当に小さく、内容もタイトルと日時、問い合わせ先のみくらいで。
こういった記事を見つけた時の感覚って、最近得てい無いなと。
ニュースもテレビやウェブ。新聞もウェブばかりを閲覧していて、紙を読む事がほぼ無い。ホテルで配ってくれる所に泊まった時くらいか?
でも紙の新聞には、こうした情報の出会いがあったりする。自分の興味のある無しに関係なく、結果的にプッシュされる記事。
ウェブを渡り歩くと、自分の興味あるニュースや、大きく取り上げられたモノしか目にしない。ましてや、ウェブ上のニュースは無限なので、隅々まで読むなんて行為は不可能すぎてやらないよね。
今の自分が知らない事で興味の対象となっていない情報に巡り合う機会が無くなった。
知れば興味を持つだろう事と、出会うキッカケは半ば強制的に届けられるべきであると思う。
雑誌もそう。特に学祭時代は隅々まで読んだ。なにより雑誌が自分の生活の中で高価な位置づけだったから、そんなに頻繁に買える事もなく、一度買ったら何度も本当に小さな記事まで読み込むしかなかった。
でも、その事で出会えたこと、引き出しを増やしてくれた事ばかり。足りない情報を探しに行動するのも、こうした足りない情報だったからこそではないか?
話題となる競技場やロゴが、自分の人生にどれだけ大きな影響を残すのか?もっとそんな事を考えてる時間に知るべき大切な事があるのではないか?
なんかそんな事をニュースの映像から感じた。

20150730

その街に踏み入れた時の感動を思い出してみると、その街の未来が見えてくる様な気がする。

こんなブログ記事を見つけた。写真の引き伸ばした荒さが時代を感じさせるけれど。馬場さんの記事。
TDB-CE(Tokyo Designers Block - Central East)後のCET(Central East Tokyo)の起こる瞬間の記事ですね。面白いな。難しい言葉無しに、CETのことを言葉にして出ているのって貴重かも。
ブルックリンのD.U.M.B.Oでの取材の話は、馬場さんよりも原田さんからよく聞いていて、阿野さんの写真を見て純粋に興味を持った。でも、どこか異国(異国だけどw)の話であって、僕にとっては八丁堀とかにリアリティあった。
中央区とかあまり知らない。銀座と日本橋の位置関係さえ曖昧で、車で銀座走ってて、気づいたら日本橋を通過した時の驚きは今でも覚えている。
東京の地図が頭のなかで繋がっていなかったんだよね。地下鉄やJRを使うと、それぞれの駅周辺でのブツ切りマッピングが出来上がる。隣の駅は知ってても、それぞれの道がどこにつながるのか、実はあまりよく知らない。
そんな時に知ったのが八丁堀の8bath。
遊びに行って出会ったのが武藤くん。そしてこのプロジェクトが動き出した瞬間に立ち会えて、そして今日本橋に住んでる。
この時、このテキストを書いてた馬場さんもそうだけど、このプロジェクトに関わるみんなが動くモチベーションの源ってなんだったんだろう。
ものすごく熱い思いを感じるよね。実際現場もそうだった。
なんか冷めた感じの視点から振り返るのは嫌だな。。。
D.U.M.B.Oの現状について、ちょっと調べてみよう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ダンボ_(ブルックリン)
今更だけどwikiで見るとニューヨーク大学と共にニューヨーク市が支援してるんだね。中央区、千代田区と、東京大学とかでどうにかならないものかな?
未来を描けばいいんだよね。この街のストーリー。
人が行き交い街が賑わう。交通事情も良く、電車も複数路線使える。羽田も成田も一本。東京駅も近いし。
この街での働き方、生き方。見てみるのが一番早い。これこそ次のステップの作り方なんだよ。

不動産の問い合わせが来たりするのは、気分的に楽しい出来事の始まりだったりもする。

「なんか良い不動産ないかな?」と、問いかけられる事が増えてきた。頼られるのは悪い気はしないよね。
実際に物件を持ってるのか?というと、そうではなくて、たまに面白い物件を知ってるという程度。
なので、分からないタイミングの時は、周りの人たち。東京R不動産さん関連とか、PITSTOCKさんとかに聞く事になる。
とはいえ、彼らも同じなんだよね。ある時はある。ない時はない。不動産も人と同じで、縁だと思う。
そろそろビルが欲しいです。大家さん売ってくれないかな?笑
実際、不動産の問い合わせから仕事に繋がった事もある。馬喰町にあった(残念ながら過去形)『keito』さんはそのひとつ。
『keito』さんのお仕事はとにかく楽しかった。物件の提案から、インテリアデザイナーの紹介。諸々のコンセプト作りも中に入れて頂きながら。
また仕事したいですね。仕事も縁。一期一会です。

観光による外貨獲得とホスピタリティーは大切だけど、現場は本当に間に合っているのか?

今日は細かな事故に関する見解とか、なんかそういったニュースが印象に残る。
例えば去年起きたリムジンバスとマイクロバスの首都高での追突事故。NHKでは「原因は前方不注意と判明」と事故調査委員会が報告書を提出。とか。
首都高バス事故“前方不注意”
勝手な思い込みと思いつつ、これらって海外からの観光客、そして旅行代理店への安全アピールなのかなとか見えてくる。

観光バスが売れてるらしい。


大型バス爆売れ
結局こういうことへの落とし込みなのかなとか。
悪いとは言わないよ。だけど偏った業界がメリットを受けるようなニュース見ると、ちょっとばかり色々な考慮を想像しちゃうんだよね。
銀座の中央通り。以前からタクシーの客待ち路駐は酷いもんだったけど、あれは結構深夜帯なので、なんとなく状況が分かってればアイコンタクトでスイスイと縫うように走ることはできる。
たださ、昼間の観光バスの路駐酷くないかな?
しかも動きが読めないというか、明らかに下手な人もいるよね。
観光で外貨獲得っていうのは大切だとは思うけど、そういった体制作りが間に合っていないんだよね。今大きく投資しても回収できる見込みとしてはオリンピックだけじゃ弱いから、どこまでやるか?は難しいところかもしれないけど。
2020年に向けて、あと5年を切ってる訳だけど。つぎはぎになるのは仕方ないとして、その優先順位とか見誤ると危険なこともあるかなと。
ビジネス視点ではしっかり短期で回収できる街づくりが大切。

20150729

マンションポエムが生まれた理由を考えてたら、祭りや運動会の騒音苦情問題が生まれる原因こそがマンションポエムかも…と思った話。

マンションポエムについて話題になったので思考を巡らせたメモ。
マンションポエムはマンション広告に載ってる、イメージコピーというか、前後の接続を無視した感じの結論の無い文章。
俵万智さんとか、谷川俊太郎さんが、本気でマンションのコピーをうたったらどうなるのだろう?とか興味はある。
で、マンションポエムの意味不明感は、実は「詩」の理解のされかたのひとつの形式なのでは?と思った。
文化的なモノって、理解しようとする前にすでに持ち合わせている語彙の中で無理やり解釈をしようと結論を出す人は多い。
代表されるのは「ピカソ」の絵を見て、『私にも描けそう』というのも、グチャグチャに適当に絵の具を走らせて『ピカソ風』という感じ。
つまり、マンションポエムはこの「詩」バージョンなのでは?
それにしても、広告としてバンバン印刷され、DMに、新聞広告に、電車の広告にと、世間の目に触れる機会が多いのはちょっと辛い。
圧倒的なボリュームで迫った結果、ひとつのジャンルみたいにはなってると思うけれど、これどうなんだろう?数があれば成立出来る強みなのかもね。
それで、なぜグチャグチャに言葉を並べたマンションポエムが、マンションの広告にばかり使われるのか?
これはマンションという商品自体が、実は同じような立ち位置にあるからこその相性の良さなのでは?という仮説。
不動産としてマンションを購入する時、他の投資と同じで複数ある方がリスクが分散出来る上に、身動きも良くなる。
ただ、こうした視点で見る人の方が稀だよね。
マンションを購入する人は、そこから利益を得ようとすることを考えず。
どちらかというと、住居として住まいを手にいれる。賃貸より持ち家。というなんか冷静に考えると、あまりメリットの無い目的に向かって盲目的にマンションを手に入れようとする。
社会の流れがそうさせてる感じはあるけれど、人生で一度の買い物!みたいな感覚は少し思考を停止させる怖さを持つ。
実際高額なプライスは付いているし、これを購入することで社会的ステイタスが一段階上がったような気分になる。実際責任も多々負うわけで、今までの生活とは確実に変わるのは確実。そんな心境だろう。
この心理の中にいる人に向けた広告ってどう出すだろう?
そう考えると、実はあまり具体的なコピーを書きたく無いのが販売側の心理。マンション(分譲地もそうだけど)は大型化すればするほど、とにかく数が必要になる。
少しでも購入に興味があれば、その目的とか思いとかどうでも良くて、ローン審査さえ通ってしまえば、ありがたいお客様ですよね。
だとすると、あまり具体的な宣伝文句は人を選ぶことになる。
少しでも「?」が頭に浮かんだだけで、この高額な商品を選ば無いという客層は多いだろう。それこそ「一生に一度」なのだから、すべてに於いて満足した商品を購入したい。
となると、当たり障りなく、読み手側が勝手に「良いように解釈してくれる」キーワードが並んでいれば良い。
日常では使わない様な難しい「言葉」だったり、難しい「漢字」だったり。さらには、どうにでも捉えられる(でもポジティブ方向へ)という言葉を羅列させれば、勝手にそこでの生活を良い方向へ妄想してくれる。
そこに住むことがステイタス!となれば、もう完璧。
でもさこうした売り方が、街の祭りや小学校の運動会に苦情だしたりする住人を生む気がするんだよね。
苦情出す人が問題なのではなくて、実はこうした勝手に妄想させる商品イメージの植え付けが、勝手なそこでの生活を妄想させて、少しでもその妄想した生活と異なるノイズは苛立ちを感じてしまう。仕方ない構図じゃない?
出来る限り多くの様々な層を取り込もうとした結果、誰もが勝手に解釈できるマンションポエムが与える悪影響って方向性も議論して良いのかもしれないね。

仕事があるところに若手は集まる。色々な仕事がイメージできるだけで解決できる広報のしかたがあると考える。

東京って色々な生き方があるなと感じたのは、2002年頃かな。
なんか「グリコのおまけをコレクションして売ってる」という人を紹介され、「そんな生き方があるのか」と感心したのを覚えている。
仕事って全てが枠にハマったものである必要も無く、自分だけの仕事もあるはずだ。と同時に考えたりもした。
人が多いからということもあるかもしれないけれど、色々な生き方(仕事)をする人と会う機会も多い。
もちろん仕事の場所も選ばない職業もあるだろうから、それは地方で活動をしている人もあるだろう。東京だから多いってわけで無く、東京だから会いやすいってことなのかもね。僕も東京に居るわけだし。
地方に仕事が無いって感じることもあるけど、こういう視点で見れば、働き方や生き方が考えられるのでは?とも思う。
ただ特有の地域性とかはあるだろう。個人的には「好奇心」の強い人たちが居る地域は、いろんな可能性高いと思うんだよね。
この辺りってどんな仕事が多いの?って聞くと、公務員と農家しか無いって言われちゃうと、結構地方での生活にビビってしまうこともある。
でも、やり方はあると思うんだよね。
地方の高齢化問題と聞くと、やっぱり若手を増やすことが、事実上の解決策と思うのだけど、その場合「仕事をイメージできるか?」ってことがキーワードになるよね。
自分はその町でやっていけるのだろうか?決して地方だけでは無い課題ではあるけど、知らない地方ほどその問いに不安が強くなるのも事実。
だとすれば、その解決策としてその辺りを突っつけば良い。
地方の若手人口減少は、視点を変えつつ広報に少し気を使えば、案外低コストで解決することがあると思う。

人生のタスク。受けた恩を次の世代へと回すループに加わった人の役割。

お世話になった人が亡くなるのは悲しいね。ふとした瞬間に「あ、これはあの人に相談しよう」と思うと同時に「あ、亡くなったんだ」と。この言葉にしにくい感覚が辛い。
人生の中でキーマンになる人って、誰にも居ると思う。ある種の「ターニングポイント」に出会う人。
ターニングポイントで出会ったから、その人を忘れられ無いのか、その人に出会ったからターニングポイントになるのかは分からないね。
札幌で出会った玉木さんは、若手のチャレンジャーを応援してくれる人だった。経済的に有り余る感じでは無いと思うけれど、面白がっていろんな人を巻き込んで、今でいうシェアオフィスを作ったり、飯を奢ってくれたり。パソコンやカメラなどの機材もシェアオフィスで使える様に揃えてくれた。
「なんでそこまでしてくれるんですか?」と聞いたことがある。
玉木さんにもそういう立場の人が居たらしい。社会に対して右も左もわからずに彷徨う年代、それでも無駄に反発したり頑固になったり、知らないからこその怖いもの知らず。そんな時に面白がって応援してくれた人がいたらしい。
玉木さんもその人に 同じことを聞いたら、その人も同じことがあったのだと。そうグルグル巡っている状況だったんだよね。
そこそこの立場になった時、玉木さんはその人に「どうやって恩返しをすれば良いのか?」と聞いたらしい、すると「お前は俺の世話になった人間。お前が俺に恩返しなど烏滸がましい。代わりに、お前が面白いと思った人間を同じように応援すりゃ良い。それしかお前にはできない」と。
結局、玉木さんに何も返せないまま。僕が東京に戻って2年くらいで訃報を聞いた。
恩を返せるとは思わないけれど、でかい人でした。いや本当デカイよ。
40 歳も近くなると、亡くなる知り合いも増える。いろいろ残念なのだけど、大切なのは色々なループを閉ざさないこと。まだまだ何も出来てないし、無力を感じることは多いけれど、それでも何かしらそういう形で返さねばと思うのですよ。
これは結構大変なタスクなのですわ。

20150728

自分の仕事や自分のあり方は、自分ではなく周りが教えてくれるのだと思う。

安定した雇用では無いというか、勤め人では無い身としては仕事はありがたいもの。自分のやりたい事が出来るなら、それこそ嬉しさ1000%です。
でも迷う時もありますよ。よく言う「良い事はこれが最後と、悪い事は一生続くと思ってしまう」という心理に繋がるネガティブ感情が湧く瞬間。
全く逆の事が起きると感じれば良いだけなのですが、気持ちには上がる時があれば落ちる時もある。これもまた同じ人。
仕事の仕方に迷う時に、ふと北海道での生活を思い出す時がある。
「東京から来た」というだけで、僕は仕事を受ける事ができた。勝手に面白がって営業してくれる人も居たし、「こんなこと出来る?」と気軽に訪れてくれる人がありがたかった。
こちらも全く知り合いの居ない土地柄だったから、下手すると引きこもりの危機なワケですが、こうして他人に興味を持ってくれる人のおかげで、仕事にもありつけたし、美味しいものもたくさん食べることが出来た。北海道万歳!
「仕事を探そう」とすると、なぜか見つからないものだったり、思ったのと違うことだったりすることがある。コレ、なんとかの法則っぽい。
「僕はこんな人間です」「こんなことが出来ますよ」と伝えることの方が、仕事を呼び込む。無理無い要求だったりもするし、判断に迷えば「これどう?」と問い合わせてくれる。面白そうならチャレンジさせてもらう。そうすると更にスキルというか「出来ること」が増える。
たぶんこうして仕事がつながり、続いてきたのだと気づく。
北海道生活はとても重要で、とても貴重。僕のベースを作っているのだと感じるね。
だから探しモノは無理くりやっても目的のモノが見つかりにくくなるだけかもしれないし、それで出会ったモノは自分にとってありがたいモノかどうかも判りにくい。
井上陽水も歌っている様に「探すのを止めた時、見つかることもよくある話で…」、あまり雁字搦めになると、苦しくなってしまう。
苦しい時こそ、ちょっと肩の力を抜くといいのかもね。
だから、自分のすべき仕事って何だろう?僕のできることは何だろう?の答えは、もしかしたら「周り」が教えてくれるモノなのかもしれないよね。

20150724

やっぱり餅は餅屋なんですよ。

ASYLの佐藤さんと以前、どこかのトークでご一緒した際に出てきた話なんですけれども。
みんな同じパソコンを使っているのだから、ソフトを変えるだけで「空間」「映像」「グラフィック」「音楽」なんでも出来る。で、やってみたりする。だけど、やって分かるのが餅は餅屋ということなんだよね。
これ実は一度は迷い込む罠だとも思ってる。
いろいろなジャンルや世界に触れるって意味では、(ソフトが違うけど)道具が同じということは、視野を広げるキッカケになります。でも、それでフィニッシュまで持って行こうとすると、限界があるんだよね。
でも、遊びから始めて、そのジャンルを極めてしまうということもゼロじゃ無いから、トライするのは良い。でも悪戯に中途半端なものは生み出しちゃいけ無い。この線引きって意識していないと出来ないところですよね。
スマホのアプリとか分かりやすいけど、ソフトの機能が向上して、それっぽい成果物を作るのは可能。でも誤魔化せるのはスマホ画面の中までだったりする。
パソコンで見た時の落胆とか、ちょっと悲しくなる時もある。
やっぱりその分野で食ってるって人は、常に研究してるんですよね。その日々の努力については、中途半端には追いつけない距離がある。
研究や実験が生活の一部になっている人。センスも必要だけど、結果を出して評価が付いて来ればセンスもあるってことだよね。
自分で「あ、これは僕はココが限界!」って気付いたら、出来る限りその分野でのプロを探して仲良くなるということが大切だと思う。これに関しては、かじったからこそ、見極める力はつくタイミングでもあるので。
するとその分野の動きや欲求が出た場合、その人を巻き込めば良いこと。社会へ送り込むクリエイティブは、妥協しないものであるべきだし、それらで構成されるべきなんだよ。

東大に行って学生の発表を聞いてきた話

東京大学工学部都市工学科4年演習ということで、CETエリアを対象にしたチームがあり、そのアテンドとして街を案内。街の方々の声を聞く機会をつくりつつ、グルっとお散歩。
その後、それをキッカケにして学生達は街を調査、新たにヒアリングを重ねるなどして、CETエリア(主に東神田)の都市再生案を作り上げます。
さすが東大生。短時間ながら、街の問題点を拾い上げているなという点に驚きつつ、出された提案も街に住む僕らが望むものだったりと、聞いていて面白い授業でした。
さて、東大が優秀という話ではなく、そんなキッカケで他のエリアを対象とした再生案が面白かったので、そのメモ。
対象となった地域、まず一つ目は「岩槻」です。
僕は2〜3度行ったことがある程度。大きな通り沿いに少し古びた看板で「人形の街。岩槻」とあった印象が強い。
まずは学生達の考察から。
岩槻は都市部へのアクセスが良くない。その上での居住についてのデータ。
公民館がエリアに対して偏りがち、移動手段がクルマのエリアでは駐車場も肝と。
ここに「埼玉の箱物三原則」というのが出てくる。
【ハコモノ三原則】「新規整備は原則として行わない」「施設の更新(建替)は複合施設とする」「施設総量(総床面積)を縮減する」
これに対応する提案である必要がある。と。
また、岩槻の住民は地元への愛着意識を持っているというデータもあるらしい。
で提案としては、「岩槻の産業としての観光」「居住者にとって使いやすい公共施設の整備」ざっくりと、そういうもの。
悪くは無いと思うけど、提案としては必然性が弱く感じた。
例えば、、、
・岩槻の住民が持つという地元への愛着について、その源が明確になれば良いなと思った。何が「魅力的」なのか?それは財産であり、新たな住人を呼び込む要素にもなると思う。また観光としても、それは大きな求心力を持つことになる。
・人形の街という答えがフワッとしてたので、そこに対して「将来の展望」が聞けると良かったなと思った。
「岩槻は人形の街である」ということは、全国的にどれだけ浸透しているのだろうか?またその生産量と売り上げ。若手の担い手、新たな可能性など。
それは地元の産業の見直しにもなり、面白い展開だってありえる。
ただ、これはコンサルティングの仕事にもなるけれど。
今後「高齢者施設や病院」が、供給を需要が上回ってしまうとのこと。
これに対しても、対策としては若手の新規人口を増やすことが解決策だと思うんだよね。
なんかそんな視点がちょっと薄いかなと感じました。
次に続いたのが「浦安」です。
空き地が多いので、そこを共有スペースとして活用させるという提案。
これはとても明確で、模型もあるくらい固まっていた。
これについて唯一もったいないなって思ったのは「川沿いに公園の様な施設」を作るという提案だったにもかかわらず、『川をうまく使えていなかった』こと。
このそもそもの整備費用の負担についてツッコミを受けていたけれど、例えば川に沿った空地が多いとのことなので、川を災害時の避難経路として整備し、そのための「防災船着場」を設けることを前提にしていくと、それぞれの空地の避難場所整備と、それらを川で結ぶルートの整備ができる。
とすると、予算も行政が用意しやすいのでは?とも思った。
整備された設備の持続可能なシステムとして、普段から使う様な仕組みなど。川を向いたロケーションと使いかたで、大きく現実味が出てくるのでは?と思ったりもしました。
次は「小布施」長野県ですよね?ここに僕は行ったことが無い。
ここは「耕作放棄地の増加」「非伝統的集落での生活増加」が課題とのこと。
活動の停滞、福祉体制も万全では無い。
どうしたら住み続けられるか?
空き地、空き家が増えるならそれを活用しよう!
放牧や野草や花で利用することで産業(Iターンなども視野に)で活用。観光にも魅力を産みそうだよね。
でも、これも岩槻と同じく「高齢化が問題なら、若い世代が移り住むアイディア」の方が良いと思った。
若い世代。自分たちと同じ世代が「小布施」に住むとするならば、『何が不安に思うか?』って点をクリアすれば、案外良い部分を見せるのは簡単かも。
ロハスとか言い出すと、ちょっと人種的にも偏るので、健全に無理なく様々な未来を観れる環境の整備が、実は強みを増すと思う。
しかし、どのエリアも高齢化(既に日本の問題)に対する答えが、高齢者向け施設という提案ばかり。それ運営する人やサービスを行う層が抜けるし、若手の仕事がそればかりだとしたら、果たして「若者が進んで移り住む」様な魅力的な生活なのか?否か?僕だったら考えるな。
そしてCET(東神田)を対象としたチームの提案
今までの商売(問屋業)の時代的な衰退。崩された場所へ新築マンションが建ち、新規住民が増えている。
(そんなことが現状かな?思い入れが強すぎてメモ取り忘れてました。)
シェアオフィス、シェアハウス、そしてトライアルの店舗をビル1棟マスター借りして用意する。それぞれの場所を使えるのは期間限定。しっかり家賃などで運営をしていく。
価格設定をエリアの平均より安く設定することで、トライアルで住むこと、オフィスを置くこと、店舗を開くこと。などを気軽に体験でき、更に『続けられる!』と思う人は、エリア内で開業してしまえば良い。その斡旋も行う。
提案としては◎だと思います。
ひとつ残念だったのは、対象となったビルが通常より高めで貸し出されていたこと。その数字を出してしまったことで、ビジネス的な計算が提案と合わなくなってしまったこと。(ここはこのエリアの平均金額と出すとよかったね)
でも、良い提案だし、現実性あると思う。
何より「この街に住んだ経験を持つ人が、この街に住み着くキッカケとなれば良い」という話はものすごく持続的な思いであって、素直に共感しました。
残るひとつは「高島平」でした。
ここは数回行ったこともあるし、よく近くは通る。高速乗っても団地群が目に入るし、なんとなく都心部との距離感も体感である。
ここも実はメモを取り損ねました。。。
コミュニティカフェなどはあるが、そこを使いにくいと思う人たちもいる。外を出歩く際に、休む場所がわからないとちょっと長い距離の散歩は脚が重い。
なので、このエリアの地図を作成。
その中に距離別のコースを提案し、途中で使えるベンチやコンビニ、カフェを明記することで、街に出歩きやすくする。という提案。
これは先生から言われていた「このエリアの歴史を解説してあげる要素が地図にあると良いのでは?年配の方は歴史の話と街歩きは魅力を感じるので、そこを突いてみては?」というのが、ものすごくツボ。共感しました。
ということで、全体的にレベルが高く面白い機会でした。
「自分だったら」って視点で、それぞれの街に対して考えるのも面白かった。
これから地方のエリア再生・活性化のアドバイザーとして仕事できたら面白そうだなと思う機会となりました。
やっぱり街に関しては「これ楽しいぞ」って見せること。理屈も大切だけど、魅力を語る際には「おもしろそう!楽しそう!」という面を無条件に体験させてあげることが、ひとつの解決策になる。と実感しました。
実はこれ、あまりやってないよね。
あまりにも魅力をアピールし過ぎて、理屈っぽく面倒臭そうな一面が見えてしまっている。それで集まる人たちも偏りがちなのでは?
理屈や根拠は背景としてしっかり持っていれば良い。表側はハードル低く、感情を誘導することが大切。バズる時ってだいたいそうだよね。
結論:いくら大切とは言えバックボーンの設計だけじゃ、人は集められない。バランスです。

20150723

街に住人が責任を持つこと。街は人の為にある。

CETを通して『地元』というのを考えるキッカケをもらった。
僕が生活してきた八王子や北海道、六本木や青山に「コミュニティ」はあったけど『地元』という感覚は薄かったと思う。
特にキーワードとして『町会』という存在。
もちろん育った街に『町会』は存在していたし、夏祭りや子供会などもあったけど、影響力を持っているという雰囲気は全くなかった。
子供の立ち位置で、なかなか接点が無かったってこともあるかも。祖父母は隣組の様な感覚で繋がっていた気もする。
それ以上でも以下でもなく、それぞれの生活がメイン。
CETで出会った『町会』。まず最初に出会ったのは東神田の町会なのだけど、「街への責任」みたいなのが強くて、このエリアでの出来事に関しては責任を負うという迫力があって、実際そうだったと思う。
だから町会の協力が得られれば可能性が大きく広がるし、何をするにも最初に相談に行くのは町会だった。
これはそれぞれ商売している人が大半ってこともあるのかもね。今でも千代田区中央区あたりの町会の集まりは18時とかからで早いし。。。勤め人向けな感覚は 薄い。
そんな街の『町会』と僕らよそ者を繋げてくれた人が去年亡くなった。実際の命日は数日前なのだけど、僕が聞いたのは去年の今日。
そういう意味では本日が命日。
街には町会が必要だ!と思えるのも、こうした経験や町会という存在による影響力の強さ、そして趣味や仕事では無く、同じ場に住んでいるからという理由が結びつけるコミュニティの面白さ。幅の広さ。
それを僕が持論として言えるのも、そうした人が居てくれたから。
街が昔のまま残っているということは、文化として風習として、効率化出来ない地元ルールと責任が残っていると知りました。
なかなか言葉としてまとめるには時間がかかりそうだけれども。
街のことを考える時、人の存在って強いなと思う。街は人の為にあるべきだし、人は街を作る責任がある。
それは行政でも法律でもなく、町会だと思う。

20150718

シミズバーという手作り集会所

shimizubar
mixiでチェックすると、2007年頃の話。
大伝馬町の「内田ビル」の屋上にて、毎週「シミズバー」という名の時間を作ってました。
すでに移動する前の「bigote」はあったものの、まだまだ人が集まる場所(飲食店)が少なく、
だったら酒を買っておくからみんな来なよ。
お酒飲んでもいいけど、気持ち払ってね♪というノリで、
ビールやらカクテルやらをみんなで作ったりしてました。
当時はMLでインフォメーションしてました。mixiは活用されてたものの、SNSよりもメールの方が気軽だった時代だったのかも。
会員制バーに見立てて『日本橋PRIVATE BAR』なんて呼んだりもしてましたね。
思えばいろんな人が来てくれたなーって思うことも。
馬場正尊さんとかも、一度カウンターに立ってもらったりしました。
街に人が滞留するには、カフェやバーが必要だなと感じつつ、
『場所さえあれば、人は集まるんだ!』とも気付かされた時間でした。
今は内田ビルも変わりつつありますが、
1F、B1にはゆかいさんが入ってますね。
しかし当時の写真が無い。。。

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