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2017年12月18日月曜日

中央区まるごとミュージアムの試みと混乱と未来とか。

「中央区まるごとミュージアム」ってイベントが東京の中央区で毎年一回秋に開催されている。イベントと言っても、多発している小さな個人レベルでの文化系のイベントを中央区が後押しするカタチで広報などをバックアップしてくれるというモノ(と理解している)。

当日は中央区での観光船やバスなどを無料運営。ポスターや開催場所の地図を盛り込んだパンフレットを作成するなど、個人レベルでイベントを開催していた人達にとっては、とても強力なサポートとなってる。

ここに参加する費用などは一切かからないけれど、金銭でのサポートも一切ない。ある意味分かりやすい立ち位置での関係性でもある。

更に、客寄せ企画として「スタンプラリー」を運営。様々な中央区の企業やお店から商品提供を募り、スタンプや用紙などの用意までは中央区がしている。これによって来場者が増えているのも事実。しかし、スタンプラリー目当ての客のクオリティは低いのが現実。これは致し方ないかな。



行政との変わった繋がりって部分もあり、数年参加させて頂いてるんだけど、回数が増えるに従って、そもそものスタートが霞む動きも今年見えた。

例えば「パンフレットを作るのであれば、ここは改善すべき」として、参加者からの提案を受けながら、だいぶ分かりやすいモノが出来上がってきたのだけど、最近では自由な要望ばかり出てきていて、参加事業者側の都合での意見が目立つ。
それをホイホイと受けちゃうから、事務局側は混乱している気がする。「それはあなたの都合であって、目的とズレがある」みたいな意見で突っぱねるのもいいけど、なぜか低姿勢な対応が気になるのです。

本来は対等であっていい。冷静に考えれば一番お金のかかる「印刷物」と「交通機関」を無料提供してくれるのだから、ある程度「必要、不必要」の判断はすべきだと思う。

また、広報をしてくれると書いたのだけど、コレがめっぽう弱い。ウェブメディアへの掲載が1件のみ。行政が絡む内容としてはとても弱い気がする。実際Twitterなどの対応も活用できておらず、これだったら無くて良いと思う。
このあたりは以前は電通テックが対応してたんだけど、今年はどこだったんだろう?ここは金銭が絡む発注があると思うので、この辺りの発注条件など見せた上で、事務局側でもう少し精査してもいいのかなって思う。冷静に見て酷いw

あと、スタンプラリー。
これ設置すると本当に来場数が増えるのだけど、スタンプだけ押して展示見ない人が多い。「とりあえず集めて豪華景品もらうぞ」ってのが見え見えで、ある意味清々しいのだけど、仕方ないんじゃないかなーって思う部分もある。



パンフレットの作成も、スケジュールがキツイ。なんでそんなに早く情報集めたいのか分からないけど、個人レベルの企画なんてギリギリまで変化があるモノ多いんじゃないかな。進行がほぼ大手企業や行政のスケジュール。
時事ネタに反応したい人達の情報が疎かになりがちなのは、行政のやり方の押し付け感もあるかもしれない。

事実、今回は僕の周りの会場で急遽仕事の関係でNGとなった場所があった。本来は逆もあるんだよね。ギリギリになって、面白い企画が立ち上がって「だったら巻き込もうよ。会場を地図に加えるだけだし」ってスタイルであってほしいなって思う。

「まるごとミュージアム」の試みは面白いし、資本力の弱い場にとっては、心強い仕組みであるはずなのに、そういった場所が参加しにくいシステムになりつつある。
これは外受けの事務局の怠慢なのか、行政担当者の怠慢なのか分からない。

そもそもイベント慣れしてない人達が惰性でやってる感を見ると、現場の僕らはちょっと悲しい気持ちになる時があるんだよね。

「お金かからないなら文句言うな」は正論。
でも、「せっかくやるなら効果ある方法で運営しようよ。」ってのが本音かな。



「まるごとミュージアム」も実績が出来つつあり、オリンピック開催で「文化事業」としての後押しもあって、ある程度の期待値が行政側にもあるからこそ、現場担当者の負担も大きくなっている気はするんだけれども。
イマイチ立ち位置がぶれつつあって、参加事業者からも、上からも要望ばかりで仕事が増える中間位置にいる担当者は、そろそろ爆発するんじゃないかな?

既にキャパ超えしていて、当日もその後の報告会でも、個人的にその混乱を見た気がする。たぶん、現在の中央区側の人員はイベントなれしてないので、自分のやり方で動かそうとしちゃってるんだよね。

金で解決しようとして、多くのスタッフを当日使いつつも、その制御で仕事増えてたりする負のスパイラル。

もうちょっと活かそうよ。無理なくやってくれた方が、参加事業者も気持ちが楽ですよ。

ましてや、オリンピック後は文化事業への予算も大幅に削られるだろうから(景気の動向によっては行政の収入も減るだろうし)、あまり金に頼った運営すると後々キツイかもね。

2017年12月14日木曜日

時給400円で雇う会社が悪いのではなく、生産者が見えないまま、商品を購入する消費者が悪いのかもしれない。

メジャーなブランドの服の製造についてSNSで荒れている。「もうあのブランドは買わない」そんな声もあがるけれど、しばらくすると次の話題に埋もれていく。
良いことなのか、悪いことなのか、それこそ「人の関心」そのものだったりするんだよね。

仕事で炎上案件に関わったこともあるけれど、専門家曰く様々な手法はあれど「時が経つ」が最善策だったりするのも見てきた。一般的に道徳に反した行動・活動は良いとは言えないが、多くの人達の興味から外れて埋もれていった先には、知られていないことと同じ。
例えそれが商売だったとしたら、最悪看板を変えるだけでSNSには知られていないことと同じになる。時として恐いことでもあり、時として悲しいことでもある。

人件費時給400円で1万数千円の服を作っていたと。材料費や輸送、保管などのコストがどれだけあるか分からないけれども、消費者はその価値があると思って購入している。
ブランドはその値段で売れるコストで生産している訳で、そもそもの仕入れ値は分からない。
ここで誰が悪いのかわからないけれども、生産工場へ「この値段で、このクオリティで」という発注が通り、そのクオリティを維持したまま納品が出来ているのは分かる。

数千円もかからず出来上がる製品を、どの段階で誰が多くの利益を取っているのか分からない。もちろん、服は全バリエーション売れるとは限らないから、ロスも多いと聞く。むしろそのカタチが大量生産の課題であって、結果的にブランドとしても全体のラインを総括すれば、ギリギリの売上かもしれない。
大量生産の闇はここに見える。そしてそのシワ寄せが誰かに行っている。

クオリティの高い製品を安く作れるとしたならば、結果として馬鹿みたいに安く売る必要も無い。こうしたシワ寄せリスクに対する判断として「高いものを買えば良い」そういう判断でもなさそうだ。

多くの分野で多様な需要が生まれ、それに叶う供給も進みつつある。もう国民服の様に誰もが同じ服を着る時代ではない。むしろ自分が欲しいと思う細かな要求に対応できるほどの供給先を見つけることが出来る。
結果として個人ブランドの様なスタイルで細分化していくのだろう。大型大量生産の時代は今の若年層が社会の大部分を占める流れで廃れていくのだと思う。

時給400円で雇う会社が悪いのではなく、生産者が見えないまま、商品を購入する消費者が悪いのかもしれない。

特定のブランドの不買を唱えるのでは、また同じことを繰り返すだけだろう。
自分が手にするものと、もっとしっかりと向き合う必要がある。そんなことを考える炎上案件な気がする。

2017年12月1日金曜日

正解なんて無いんだよ

何か新しいこと始めようとしたりすると、既にやっている人に色々聞きたくなる。結果的に「効率の良さ」を無意識に狙っているのだけど、結局そこで正解にありつけることも無い。

というのも、そのアドバイスくれる人が意地悪なのではなくて、その人が最適と思っているアレコレが、誰にしも最適では無いってこと。

道具の整理の仕方や使う種類、揃える周辺グッツなどなどから、動き方や体制、指の動かし方ひとつまで、その人にあったカタチやスタイルがある。

もしくは、既に全てが効率化されたと思っているジャンルであっても、まだまだ未達のことがあったりで、何の疑いも無く飛び込んだ人が新しい手法を編み出したりする。そしてそれが新しいスタンダードに…なんて話はメジャージャンルにこそ多かったりする。

結果として、新しいことへの一歩としては、あまり多くのアドバイスを受けない方が良いこともあるなって。他人の流儀を間接的に押し付けられることで、面白さを見出しにくくなるってこともある。

もちろん間違った道具のあ使い方やマナーなど、色々気づいた瞬間に恥ずかしくなる体験もあると思うけど、それはそれ。それを通して学ぶものもあるよね。
笑い話にできれば楽しい思い出にもなる。

新しいこと初めて「わからない」「わからない」と無闇矢鱈に走り回るのは効率的に悪いのは分かるけど、一度やった失敗は二度としない。
経験が増えるほど、人は臆病になる原因でもあるのだけど、ある程度動き回ることで、発見が与えてくれる「衝撃」って、結構気持ちいいものだと思うんだよね。

2017年11月14日火曜日

カーシェアはクルマ所有のスタンダードになるだろうね。

私は都内で2台持ちしてたくらいクルマ好きです。今は1台ですが、そろそろまた欲しい。その上で「クルマはシェア化することで便利さが増す」と思ってる。メモ。

基本クルマは多くの人にとって「道具」なんです。移動であったり、運搬であったり。同じ機能としては電車やタクシー、バス、飛行機、船があって、運搬は更に専門の業者がある。
クルマはシェアするモノとして機能しだした時、多くの人にとって、そうした需要へ今異常に選択肢が増えることになると思う。

クルマが好きという人はよく聞くけれど、その「好き」も所有しないで得られる快感もある。移動する空間として、操作する対象として、時間帯気にしないとか、色々あるけど、車種にこだわる必要無い人が大半。
極々一部の「クルマ好き」が車種にこだわって、自分のクルマを扱う訳です。「クルマ好き」って言うと、本当に幅広いから大抵話が合わない事の方が多い。

だって、移動の手段として「電車よりクルマが好きだな」ってクルマ好きと、「やっぱりポルシェのアクセル踏み込みながら走るコーナーリングが気持ち良いんですよ」ってクルマ好きとで全く違うんだから。
あと、見るだけで満足するタイプも居る。これは所有したい人達と話が合わない典型でもあるよね。
単純に言いたいのは「所有しないと満足出来ないクルマ好きってごく一部」という事。

でまぁ、クルマはシェアする道具として都市の一部になっていくことで、個人の負担が減る上に、便利なシーンが増えることが容易に予測出来る。

「田舎のレンタカー屋が駅前だけにあるわけじゃ無い」という事実を知って、家族分の台数を所有しない世帯が増加していることを知る。家族の人数より少ない台数を所有し、全員が別々に必要な時はレンタカーを借りるという。
このスタイルに違和感がないのであれば、カーシェアの気軽さは田舎にこそあって良いと思う。「カーシェアは都市だから成り立つ」って意見多く聞くけど、今は田舎に無いだけで、システムが安価になっていくことで、田舎の方がフィットしている使い方もあるよ。



Audiがモーターショーで提案していた未来のひとつに「クラウドでパーソナル情報の管理」というのがあった。これは乗り換え時に違和感なく引き継げるシステムなのだけど、確実にカーシェア的な需要も見越した技術。
クラウドに乗り味も、ナビの履歴も、好みのルートさえ蓄積されていれば、物理的なクルマはなんでも良い。iPhoneの機種変が昔ほど苦労しないのも、同じ理由。各種設定まで引き継げるのだから。

物理的なカスタムは「クルマ=道具」と考えている人達には全く必要ない。それよりも、必要に応じて選べる車種のバリエーションこそ、需要に沿ったものになることでしょう。

クルマを所有すること自体リスクしかない。税金などもそうだけれども、駐車場の確保。借りている場合は駐車場代があり、自分の所有地であれば物理的空間を奪われているわけだし。
お抱え運転手のクルマを持つ人は少なく、必要な時にだけタクシーを呼ぶ。
だとしたら、クルマだってそれで良くない?

こうした事実のある中で、じゃぁクルマ会社は何を生み出せば良いのか。そこを考えるべきで、海外のメーカーはそれぞれ個性ある答えを出し始めていると感じる。
それで日本のメーカーは?って考えると、ちょっと危険な香りしか無いよね。

企業としても苦しいし、それをバックアップしている国としても苦しい。
日本がクルマ作る必要なくなるんじゃないの?

道具として本当に素晴らしいクルマは多い。壊れないし、クオリティ高い。でも、それらを使っているユーザーが「カーシェア」を便利だと思っているんだよね。
自らが生み出した時代の流れだと思うのだけど、この先どう舵取りするのか。自動車会社にとっては大切なタイミングだと思うよ。

2017年11月6日月曜日

TMSと自動車の未来

東京モーターショーに最終日に行ってきた。驚くほどに人が少ない。
連日オープン時間などは長蛇の列があったみたいだけど、最終日のクローズの時間にガラガラな様子はちょっと危機感さえ感じた。

複数のメーカーで「自動運転のある未来」を描いている。「自動運転があれば、駐車場を探して勝手に駐車する」とか「周辺の景色の良い場所へ連れて行ってくれる」とか。
これらは「運転を嫌う層への訴求」である。
運転技術的な面もあれば、煩わしさもある。「運転は避けたいけれど、クルマは必要」という日本に一番多いと思われる層へのアピール。

でも、この層って極端な話をしてしまえば、クルマならなんでも良いんだよね。快適にスムーズに確実に目的地まで運んでくれるクルマこそ最高のクルマなのだよ。
0-100km/hが何秒だとか、馬力がどうだとか、更に極端な話をしてしまえば環境性能や燃費なんかも関係ない。
タクシーは他者の介入が煩わしいし、あくまでプライベートで移動できるモビリティであり、快適さを持ち合わせていて、クルマのある生活は好きなのだから。
だから、モーターショーに来ない。来る必要は無い。

そもそも、特別なクルマの知識を持とうという意識が無いどころか、出来る限り何も考えずに便利だけ手に入れたいのだから。

一方で「クルマを嗜好品として好き」な層は物足りない。
運転が楽しいクルマを求める人間が、自動運転のクルマを選ぶことは無い。もしカーシェアで必要な時に自宅前まで自動で配車されて、自動で移動し、目的地では勝手に駐車場を探して駐車してくれるクルマがあれば、いくらクルマが好きだと言っても、日常ではこちらを選ぶはず。運転を楽しむクルマは別に持つだろう。

結果として、ドレスアップだったり、チューニングだったり、そうした嗜好品としての楽しみを向上させてくれる情報は盛り上がる。オートサロンが盛り上がっているのは、そこにポイントを絞っているから。
誰も彼も、オートサロンに並ぶクルマの様な過激な変化を求めているのではなく、ナンバーのボルト1本を変えるところから需要がある。そんな情報さえ、TMSには無く、TASに集中するのだよ。

クルマ離れは自動車メーカーが作り上げていると感じる。

現在「クルマなら快適で便利で安全ならなんでも良いよ」って層が自動車を所有している人の大半と考えると、その層がクルマ業界を支えているっていう、クルマ好きには苦笑いで眺める構図も浮かび上がる。

全自動運転のカーシェアが実用化されれば、「あの地域には◯◯ブランドらしいよ」「あのアプリの配車サービスは最新モデルが導入されるらしいよ」と話題があがるかもしれないけれど、それは現在の「タクシー会社に採用される車種がどうでも良い」って程度の話になるんだと思う。

そこに危機感を持って旗を振り回しまくってるのがトヨタの社長なんじゃないかな。
「道具」と割り切る層が支えている事実を認識しつつ、「嗜好品」としての商品や文化を盛り上げて2つの柱を強化していこうと。
後者は確実に儲かる層ではないけれど、差別化やクルマ企業が生き残る意味を作る上で、とても大切な内容を掴んでる。

全自動ロボットを作ろうとするメーカーが居るなかで、チューニングのブランドを持つメーカーの存在意義が明確になる。
トヨタに対するGRMNやTOMS、日産に対するニスモ、BMWに対するMパフォーマンス、メルセデスに対するAMGなどなど。
その中でも、更に社外にオフィシャルの存在としてチューニングメーカーを置くBMWはその文化を一番強化出来ていると思う。

日本でも一番売れてるブランド(MINIも含む)となれば、様々なユーザーが居るのも事実。ただ、その一部がチューニングやドレスアップの文化を成長させていると思う中で、その割合は他メーカーのそれよりも多いと思う。

さぁ、ここからクルマ業界面白くなりますよ。
いろいろな意味で立ち位置が明確になっていく(ならざるをえない)から、統合もあれば、独立もあるだろうし、街で動き回るモビリティのカタチも大きく変化することだろうね。

2017年11月2日木曜日

検索されないモノは、存在しないモノなのか。

検索されない情報は多々ある。というより、検索されるよりも、されない方の情報が多いだろうと思う。例えば職業。
一番検索するのは就活生だろうけれども、検索しようの無い「あたらしい仕事」もそのひとつ。日々に検索でカスタマイズされ、浮上する情報が大手の求人情報だらけになれば、「あ、あれを作る仕事はなんて仕事なんだろう?」なんて疑問さえ消え去ると思う。

造形屋って職業がある。遊園地の岩肌やイベントや店舗などでのオブジェなどを作る仕事。ディズニーランドへ行って、エレクトロニカルパレードに興奮したとしても、キャストに憧れたとしても、そのフロートを作る仕事を検索する人は居ないんじゃないかな。
そもそも、そこが気になってもどう検索して良いのかわらないし。

業者側から考えると求人が難しい職業といえる。こうした職業が多々ある。そう、新しい仕事だけでなく、古くからある仕事でも裏方に回った瞬間に検索されなくなってしまう。

「調べればいいじゃん」「ググれよ」とよく聞くけど、検索するほどの興味が無いのかもしれない。ただ調べてみると面白い情報に触れることが出来るかもしれない。
ただ、調べられない情報。



未来予報という会社の方に授業に来てもらった。彼らの仕事は、SXSWなどで出会ったスタートアップの情報をレポートしたり、日本でのスタートアップの人たちを様々な角度からバックアップしたり。そんな業務。
ただ、分かりやすい様に、コンサルティング、ブランディング、制作業務という様なキーワードが散らばる。

こうした「既存の業種をキーワードに使う」ことは、ちょっと勿体無いなって思うときもある。けれども、ちょこちょこ見かけるのも事実。

結局、助けてほしい側としても、なんて検索して良いか分からないから、こうした近いキーワードを打ち続けながら探していくのだろうと思う。



検索されない情報は世の中に存在しないのでは無い。ただ、ひと目に触れることは無い。そうしたモノはメディアなどにピックアップされて、はじめて目にする人が増えるんだと思う。

メディアの役割も大切だなって思いつつ、知らない人に焦点をあわせるってことの大切さも感じる。

多くの情報は「知っている側の目線」で発信されることが多い。だからズレが起きる。知らない人の目線に立つ難しさに対峙させられたりしている。なう。

2017年10月31日火曜日

横トリへ

会期も最終日に迫る中で、ヨコハマトリエンナーレへ行ってきた。
率直な感想としては、重い作品が多い。思想が強すぎた。

複数の作家を集めた展示では「テーマ」がとても大切だけれども、それが具体的であるほど、作家や作品が強いモノになる。
強い作品は存在としてパワーも持つし、人も引きつける。好き嫌いも強く出るからこそ、中途半端が無いとも言えるよね。

アートの解釈は人それぞれで良いと思っている中で、僕が求めているのは「美しさ」。
醜さや汚さ、ストレートな感情含めて「美しさ」と思う。

そこに「思想」が入ると、どうも苦手な部類となる。「感覚」と「思想」の間に何があるのかわからないし、説明もつかないのだけれども。

原発や戦争に対する意見は僕自身も僕なりに持っているのだけれども、それを載せた作品は作れない人間なんだと思う。
それよりも、「今の心地よさ」「あのときの美しいと感じた気持ち」「悲しかった光」「冷たかった感触」そういう事を表す作品が好き。自分もそういう作風だと思う。

そこから何を感じ、どんな答えを持つのかは、鑑賞者の自由であって、作家側からプッシュされすぎちゃうと、反射的にはねのけてしまう。

そういう意味では、そうした作品が多く見られた気がする。

良い悪いは無いと思うのだけど、僕個人としては肌が合わない場だった。



宇治野さんの作品が素晴らしかった。
始まりの「映像」から、シームレスに繋がる展示空間で起きる全てが、ひとつのミュージカルを見ている様で、とても心地よかった。
それぞれの見せ方もセンスがビンビン痺れる感じ。目に見える全て細部までが美しかった。そして格好良かった。



今回の横トリの掲げたテーマに対して、作家としてどう選考を通すのか?その答えの出し方と実際に展示された作品と、それらが「作品」だと感じた。
自分の作りたい世界を作り出した作家の評価が僕の中では高くて、自分の作風と今までの世界を変えずに新しく見せる作家が美しいと思った。

現実から目を背けるな。みたいなのは分かるけど、でも、多くの人が見たいのは「心地よい」ものであって、それによって、結果的に同じ行動を引き起こすのであれば、後者こそ優れている見せ方なのでは。

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