会期も最終日に迫る中で、ヨコハマトリエンナーレへ行ってきた。
率直な感想としては、重い作品が多い。思想が強すぎた。
複数の作家を集めた展示では「テーマ」がとても大切だけれども、それが具体的であるほど、作家や作品が強いモノになる。
強い作品は存在としてパワーも持つし、人も引きつける。好き嫌いも強く出るからこそ、中途半端が無いとも言えるよね。
アートの解釈は人それぞれで良いと思っている中で、僕が求めているのは「美しさ」。
醜さや汚さ、ストレートな感情含めて「美しさ」と思う。
そこに「思想」が入ると、どうも苦手な部類となる。「感覚」と「思想」の間に何があるのかわからないし、説明もつかないのだけれども。
原発や戦争に対する意見は僕自身も僕なりに持っているのだけれども、それを載せた作品は作れない人間なんだと思う。
それよりも、「今の心地よさ」「あのときの美しいと感じた気持ち」「悲しかった光」「冷たかった感触」そういう事を表す作品が好き。自分もそういう作風だと思う。
そこから何を感じ、どんな答えを持つのかは、鑑賞者の自由であって、作家側からプッシュされすぎちゃうと、反射的にはねのけてしまう。
そういう意味では、そうした作品が多く見られた気がする。
良い悪いは無いと思うのだけど、僕個人としては肌が合わない場だった。
─
宇治野さんの作品が素晴らしかった。
始まりの「映像」から、シームレスに繋がる展示空間で起きる全てが、ひとつのミュージカルを見ている様で、とても心地よかった。
それぞれの見せ方もセンスがビンビン痺れる感じ。目に見える全て細部までが美しかった。そして格好良かった。
─
今回の横トリの掲げたテーマに対して、作家としてどう選考を通すのか?その答えの出し方と実際に展示された作品と、それらが「作品」だと感じた。
自分の作りたい世界を作り出した作家の評価が僕の中では高くて、自分の作風と今までの世界を変えずに新しく見せる作家が美しいと思った。
現実から目を背けるな。みたいなのは分かるけど、でも、多くの人が見たいのは「心地よい」ものであって、それによって、結果的に同じ行動を引き起こすのであれば、後者こそ優れている見せ方なのでは。
20171012
無料のセールスマンが世界中にモノを売る時代だね
YoutubeでMVを見ていると、好きなアーティストの傾向から知らないアーティストの曲を流してくれたりする。
テレビを見ない(調子悪くて見れない)生活になってから、新譜を知るのはYoutubeになった。ラジオよりも情報が早い。もちろん古い音楽も掘ってくれるし、音楽に積極的でない人間としては、Youtubeバンザイ。
もちろん気になったらiTunesで即購入。昔よりハードル低いのは1曲ずつ売ってたりするからだよね。
好きな曲を買う為に、3,000円のアルバムを購入するのは今でもドキドキ。でもその中にマイナーながらお気に入りを見つけちゃったりする「出会い」もあったりするのが、アルバムの楽しさだったかな。
その役割をYoutubeがやってくれているんだよね。
ビックデータなのかAIなのか、ユーザーの好きと嫌いからある程度の傾向を見つけて提案してくれる精度はどんどん上がっている。Youtube上で過ごす時間が増えれば、それだけ精度が上がるというもので、そうするとやっぱりYoutubeの居心地がよくなっていく。
音楽づくりという面では、アルバムづくりを横でずっと見ていた経験がある。曲作りから、アルバムへの挿入選択、アレンジやらチューニング。曲と曲の間のタイミングまでを細かく調整していく。
そう、CDであってもアルバムづくりでは「曲と曲の間」を積極的に作っていたんだよね。
絵で言う、図と地の地の部分。余白とか、そういうの凄く大切。
それが、CDの再生方法の段階で崩れて、iTuneなどでの購入によって完全に崩壊した。
1曲ずつ購入する人にとって、間の余白なんて関係ないし、環境に依存するからアーティストには制御不能。
アルバムづくりの姿勢も大きく変わっただろうなって思うよ。
Youtubeで無料で流すと売れなくなるのでは?なんて声がずっとあったし、今でも日本では見え隠れするけれども、海外勢がこれだけ新譜を公開していく理由を考えてもいいかもね。
もちろんYoutubeでは広告入れればそのまま収入になるのだから、完全無料を避けることも出来るとは思うけど、曲の購入に繋がる機会も増えているはずだよ。
10曲3,000円はちょっぴり躊躇するけど、1曲300円は簡単に買える。しかもお気に入りの曲だし、パソコンが壊れてもアカウントと紐付いてDLが簡単だし。
本の世界では無料だ有料だと、キンコン西野さんが話題だけど「購入層の目に触れること」って一番大切だよなってYoutube見てて思う。
知らなければ買えないのだし、買おうとも思わない。
欲しいと感じたら、やっぱり便利なのはネットの上の無料よりも、手元にあることなんだよね。本なんか実際そうじゃないかな?
無料が良い悪いは結論つかない議論っぽいけど、サンプリングと露出って考えた上で、それぞれの既存サービスが優秀になればなるほど、勝手にセールスしてくれるわけだから、それらは利用するべきだよなって思う今日このごろです。
テレビを見ない(調子悪くて見れない)生活になってから、新譜を知るのはYoutubeになった。ラジオよりも情報が早い。もちろん古い音楽も掘ってくれるし、音楽に積極的でない人間としては、Youtubeバンザイ。
もちろん気になったらiTunesで即購入。昔よりハードル低いのは1曲ずつ売ってたりするからだよね。
好きな曲を買う為に、3,000円のアルバムを購入するのは今でもドキドキ。でもその中にマイナーながらお気に入りを見つけちゃったりする「出会い」もあったりするのが、アルバムの楽しさだったかな。
その役割をYoutubeがやってくれているんだよね。
ビックデータなのかAIなのか、ユーザーの好きと嫌いからある程度の傾向を見つけて提案してくれる精度はどんどん上がっている。Youtube上で過ごす時間が増えれば、それだけ精度が上がるというもので、そうするとやっぱりYoutubeの居心地がよくなっていく。
音楽づくりという面では、アルバムづくりを横でずっと見ていた経験がある。曲作りから、アルバムへの挿入選択、アレンジやらチューニング。曲と曲の間のタイミングまでを細かく調整していく。
そう、CDであってもアルバムづくりでは「曲と曲の間」を積極的に作っていたんだよね。
絵で言う、図と地の地の部分。余白とか、そういうの凄く大切。
それが、CDの再生方法の段階で崩れて、iTuneなどでの購入によって完全に崩壊した。
1曲ずつ購入する人にとって、間の余白なんて関係ないし、環境に依存するからアーティストには制御不能。
アルバムづくりの姿勢も大きく変わっただろうなって思うよ。
Youtubeで無料で流すと売れなくなるのでは?なんて声がずっとあったし、今でも日本では見え隠れするけれども、海外勢がこれだけ新譜を公開していく理由を考えてもいいかもね。
もちろんYoutubeでは広告入れればそのまま収入になるのだから、完全無料を避けることも出来るとは思うけど、曲の購入に繋がる機会も増えているはずだよ。
10曲3,000円はちょっぴり躊躇するけど、1曲300円は簡単に買える。しかもお気に入りの曲だし、パソコンが壊れてもアカウントと紐付いてDLが簡単だし。
本の世界では無料だ有料だと、キンコン西野さんが話題だけど「購入層の目に触れること」って一番大切だよなってYoutube見てて思う。
知らなければ買えないのだし、買おうとも思わない。
欲しいと感じたら、やっぱり便利なのはネットの上の無料よりも、手元にあることなんだよね。本なんか実際そうじゃないかな?
無料が良い悪いは結論つかない議論っぽいけど、サンプリングと露出って考えた上で、それぞれの既存サービスが優秀になればなるほど、勝手にセールスしてくれるわけだから、それらは利用するべきだよなって思う今日このごろです。
フリーの立場での長期休業という不安
仕事を長期間休業する。フリーの立場であれば、そこにある怖さって伝わるものかもしれない。なんとなくその感覚を持っていた。
そんな中で、とある記事にあった一言。
「あるアーティストは表現に枯渇したとき、自然に数ヶ月こもった」と。
そこから感じたのはインスピレーションの充電方法や、メンタル的なバランスの取り方とかではなくて、働き方。(休息の方法は人それぞれだから参考にならない)
このアーティストは4ヶ月こもった後にも、必要とされる場がある。仕事をしながら、それだけの支持を得る場を作り、伝え、自らを育ててきたのだと。
自分が数ヶ月仕事を休むことで感じる不安は「他の人に仕事が取られて戻ってこなくなるのでは」ということ。
それは「誰でも変わりが務まる結果しか生み出せていないかもしれない」という弱さなんだと思う。
他の人には出来ない自分だけの「表現」や「結果」に誇りを持つことが大切なのだなと。もちろん、それを適正に評価してくれる相手も大切だ。どんな立場であれ、独りよがりの過大評価は最悪だけど、客観的に指摘してくれる相手は持つべきだろう。
早くから社会に加わっていかないと、自分に対する評価が適正か否か判断が遅れるものと感じている。「仕事が出来る人」の存在を知り、「自分の仕事のレベル」を知ること。他者を知らずして、自分の出来不出来はわかるはずもない。
学校や企業など、組織に加わる場であったり、そうした環境での働き方の際には、その場の空気などもあって、より社会的な視点を見失う怖さもあると思ってる。
間違った転職志願なんかも、こうした場で自分を見失うことによって、過大評価をした結果に多い。(そこそこ知られた会社での立場を社会での立場に置き換えちゃうと、裸の王様になっちゃう)
もちろん、組織に加わりつつ、社会との接点をしっかりと持つことでそれは回避できるものだけれども。偏った情報やコミュニティの危険性はここにあると思っている。フリーの立場であっても、閉じたコミュニティに依存すると同じことになる。その場合は最悪だ。
特に若い頃は適正に評価される事が難しい環境も、そこそこ日本には残ってると思う。若いとか経験が浅いってだけで舐められる時がある。(多くの場合、年齢だけで評価しているその人がクソなんだけど)
ただ、少しずつ感性やらセンスを適正に評価できる人たちも表立って増えているのも確かだ。
仕事を休むことで仕事を失うと感じる人間は、初期の頃に適正な評価が得られなかったのかもしれない。成功体験は数あれど、いつまでたっても不安が大きい。ただ、その不安があるからこそ生き延びれてきたという点もあると思う。
仕事より大切なもの。それはその人の人生。
どう生きるか、何を楽しみ、何を喜んで、何を目的として過ごすのか。
根底にあるのはそこ。
なぜか日本では「仕事」が一番大切みたいに扱われる上に、仕事に裏切られると全てを見失う人も居る。そんなつまらん人生は残念だ。
何かを強制されて生きている訳ではなく、楽しむ為に(それが仕事という事もある)生きているのだから。やりたいことをやれば良い。仕事したければする。したくなければしない。その選択がなぜかしにくいと感じてしまう。
「でも、お金稼がないと生きてけないし、やりたいことも出来ない」って意見は、逆。
やりたいことからお金を得る方法を考えればいい。
画が好きな人は画を描くことでお金を得る。画の描き方を教えることでお金を得る。画を評価することでお金を得る。色々ある。
「好きなことを仕事にすると、嫌なこともしなければならないから嫌いになるって聞くよ」って言われたこともあるけど、なんで「嫌なこと」をするのかと。
嫌なら断る。シンプルにそれだけのこと。
すると、最初に戻る。
「断ったら仕事来なくなるのでは?」と。
たぶん小さなことの積み重ねなのかもしれないね。
「嫌な仕事は断る」もしくは「適任者を探して提案する」くらいのことをしていくと、断っても仕事が来る事を知れる訳で、休暇をとっても仕事が来ることを知ることが出来る。
長期休暇を取ることを不安に感じることは不幸だと思う。(まさに僕なんだけど。)
それでもまぁ、嫌な仕事は断っている。それでも不安はあるのだよな。
不安は悩んでも解決はしない。多くの不安は「見えない、わからないこと」だから。結局悩んだところで答えなんか出ない。
いくつか経験することで、少し見えたり、ちょっぴり分かってきたりして、そうして不安は消えていく。
ということは、まだまだ経験が足りないのだなって思ったりする。
そんな40代か。思ったより未熟なもんだ。
そんな中で、とある記事にあった一言。
「あるアーティストは表現に枯渇したとき、自然に数ヶ月こもった」と。
そこから感じたのはインスピレーションの充電方法や、メンタル的なバランスの取り方とかではなくて、働き方。(休息の方法は人それぞれだから参考にならない)
このアーティストは4ヶ月こもった後にも、必要とされる場がある。仕事をしながら、それだけの支持を得る場を作り、伝え、自らを育ててきたのだと。
自分が数ヶ月仕事を休むことで感じる不安は「他の人に仕事が取られて戻ってこなくなるのでは」ということ。
それは「誰でも変わりが務まる結果しか生み出せていないかもしれない」という弱さなんだと思う。
他の人には出来ない自分だけの「表現」や「結果」に誇りを持つことが大切なのだなと。もちろん、それを適正に評価してくれる相手も大切だ。どんな立場であれ、独りよがりの過大評価は最悪だけど、客観的に指摘してくれる相手は持つべきだろう。
早くから社会に加わっていかないと、自分に対する評価が適正か否か判断が遅れるものと感じている。「仕事が出来る人」の存在を知り、「自分の仕事のレベル」を知ること。他者を知らずして、自分の出来不出来はわかるはずもない。
学校や企業など、組織に加わる場であったり、そうした環境での働き方の際には、その場の空気などもあって、より社会的な視点を見失う怖さもあると思ってる。
間違った転職志願なんかも、こうした場で自分を見失うことによって、過大評価をした結果に多い。(そこそこ知られた会社での立場を社会での立場に置き換えちゃうと、裸の王様になっちゃう)
もちろん、組織に加わりつつ、社会との接点をしっかりと持つことでそれは回避できるものだけれども。偏った情報やコミュニティの危険性はここにあると思っている。フリーの立場であっても、閉じたコミュニティに依存すると同じことになる。その場合は最悪だ。
特に若い頃は適正に評価される事が難しい環境も、そこそこ日本には残ってると思う。若いとか経験が浅いってだけで舐められる時がある。(多くの場合、年齢だけで評価しているその人がクソなんだけど)
ただ、少しずつ感性やらセンスを適正に評価できる人たちも表立って増えているのも確かだ。
仕事を休むことで仕事を失うと感じる人間は、初期の頃に適正な評価が得られなかったのかもしれない。成功体験は数あれど、いつまでたっても不安が大きい。ただ、その不安があるからこそ生き延びれてきたという点もあると思う。
仕事より大切なもの。それはその人の人生。
どう生きるか、何を楽しみ、何を喜んで、何を目的として過ごすのか。
根底にあるのはそこ。
なぜか日本では「仕事」が一番大切みたいに扱われる上に、仕事に裏切られると全てを見失う人も居る。そんなつまらん人生は残念だ。
何かを強制されて生きている訳ではなく、楽しむ為に(それが仕事という事もある)生きているのだから。やりたいことをやれば良い。仕事したければする。したくなければしない。その選択がなぜかしにくいと感じてしまう。
「でも、お金稼がないと生きてけないし、やりたいことも出来ない」って意見は、逆。
やりたいことからお金を得る方法を考えればいい。
画が好きな人は画を描くことでお金を得る。画の描き方を教えることでお金を得る。画を評価することでお金を得る。色々ある。
「好きなことを仕事にすると、嫌なこともしなければならないから嫌いになるって聞くよ」って言われたこともあるけど、なんで「嫌なこと」をするのかと。
嫌なら断る。シンプルにそれだけのこと。
すると、最初に戻る。
「断ったら仕事来なくなるのでは?」と。
たぶん小さなことの積み重ねなのかもしれないね。
「嫌な仕事は断る」もしくは「適任者を探して提案する」くらいのことをしていくと、断っても仕事が来る事を知れる訳で、休暇をとっても仕事が来ることを知ることが出来る。
長期休暇を取ることを不安に感じることは不幸だと思う。(まさに僕なんだけど。)
それでもまぁ、嫌な仕事は断っている。それでも不安はあるのだよな。
不安は悩んでも解決はしない。多くの不安は「見えない、わからないこと」だから。結局悩んだところで答えなんか出ない。
いくつか経験することで、少し見えたり、ちょっぴり分かってきたりして、そうして不安は消えていく。
ということは、まだまだ経験が足りないのだなって思ったりする。
そんな40代か。思ったより未熟なもんだ。
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