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2016年5月27日金曜日

次の時代に自分はどう生きるのか?実はたぶん、既に足を踏み入れていると思うよ。

こちらもインタビューで答えた内容のひとつ。

Q:今後、業界が激するような事柄が起こると思いますか?
A:取り巻く環境の変化、それに伴うアプローチの変化。共に大きな変化はあります。

「広告業界」という切り方で聞かれたので、これにはシッカリ補足としてコメントを入れ込んだんですけどね。せっかくなのでもう少し詳しく。そして、広告から切り離した点で。(諸々の物事に異論は認めます。笑)

高度成長期は頑張っただけの報酬として、目の前にぶら下がるニンジンを手に入れる競争が一般の生活だったのだと思う。

見ていないから想像でしかないけどね。でも、三種の神器とかと言われる様に富の象徴としての手に触れられるモノが元気良かったと思う。
それは洗濯機やテレビなどの家電、自動車、家や土地。それらを手に入れる事が目の前の目標(ニンジン)となって我武者羅に働いたのだと思う。お金を使う為に稼ぐわけだから、経済的にも健全な状況ではあるよね。

物理的な満足の次には体験に興味が移っていく。

家電も一通り手に入れて、自動車もある。気持ちにゆとりが出てきたら「体験」に対してお金を使う様になっていったと思う。たぶん僕らの子供の時代がここに当てはまってるかもしれない。
旅行や遊園地などの体験にお金を使う割合が増えたんじゃないかな。海外旅行とかも一般化していくのはこのタイミングだと思う。別荘などのフレーズも盛り上がったのはこのあたりかな。
バブル期に重なり、遊びにお金を使うのが一般家庭にもあったんじゃないかな。

不況時代もお金は動き続けて、人は情報を買うようになった。

ネット時代でもある不況時代。惰性で進む時代でもあった気がする。不況という状況が具体的に財布に響いてくるまでに時差はあったんじゃないかな?
とはいえ、家も家電も自動車も持っている世帯は多くて、大きな買い物が必要無かった時代でもあるのかなって思う。
でも、会社勤めであれば減額されたとしても給料は支払われ続けるわけで、結果的になんらかにお金を使うという経済活動は続くわけです。文明として。
で、それぞれの興味は「情報」に目を向けられたのではと。
ネットの存在は大きく、画面を眺めながら時間を過ごしたり、エンターテイメントとして楽しんだり。色々な欲求を叶えてくれている。
人との対話も、ゲームも、映画も、音楽も。大きく言えば、遊びも仕事もこれ一本。となると、そこに割くお金は増えるよね。
で、Amazon、iTunesと、気がつけば外国の企業のサービスを日常使いで活用していたり。国境というボーダーラインを自然に超えちゃった。

これからはプレタポルテからオートクチュールへ

さて、これからの時代はどうなるの?という動向は既にあって、たぶん既に「大企業が大量生産したモノ」を「多くの人が手にしたい」という時代は終わっているのかなと思う時がある。
大量生産された既成品よりも、ひとつひとつオーダーメイドの一品モノへ。本当に欲しいものに出会える環境に時代がシフトしていると思う。
これはプロダクトだけに限らず、サービスや人材についても同じことが言えると思いますわ。
さっき読んだ「不格好経営―チームDeNAの挑戦」にも『あと10年もすれば、組織に属して仕事をするスタイルは主流ではなくなるだろう』とあって、「おぉ、同じ感覚!」と共感したのだけれども、「個人として何を得たいのか」「個人として何を与えられるのか」がより明確化される社会になって来ていると思う。
で、そのパーソナルな需要と供給がマッチしていく社会。企業組織でドバっと動かすのではなく、それぞれが小さな経済を生み出しつながっていく。
分かりやすいのは、手に職があれば良いんだけど、存在自体がお金になる時代にもなるかもしれないなって思う。
で、すごく冷静に客観的にこの社会を眺めると、まるで原始時代だよね。
狩りが得意な人が肉を捕り、加工が得意な人が武器や装具を作り、農業が得意な人が野菜を作る。占い師も居れば、歌が得意というのも居ただろうし。そんな時代だよね。
一回りして人間の関係がそこに落ち着く気がする。
物々交換や地域貨幣に近い感覚での経済が既に見え隠れしていて、まだ実際には国の発行する貨幣がツールになっているけれど、これも意味が大きく変わってくるんじゃないかな?って思ったりもするよ。

働く上で大切にしていること。あらためて問われて、言葉にまとめてみた。

「学校の課題で社会人にインタビューを」ということで、インタビューを受けた。これに答えながら、ちょっぴり自分の頭のなかも整理出来たのでアウトプット。

Q:働く上で大切にしている事を教えてください。
A:働く上で大切にしていることはいくつかあります。「楽しいと思えない仕事は受けない」とか、「筋を通す」「貸し借りはしない」とか、パッと浮かぶものはそんなところでしょうか。

うーん?と考えて出てきたのはこの解答だった。

「楽しいと思えない仕事は受けない」は僕の中では大切な柱でもあるのだけれども、「依頼は全て受けるべきだ。それがプロだ」という意見もあるだろうと思うし、それも理解は出来る。でも、難しいのですよ。
自分が楽しめない、興味を持てない案件は、無意識に相手に対して失礼な対応や結果になりがち。経験談として。
もちろん、手を抜くという事はせず精一杯答えを出そうとするのだけど、どうしても集中力が切れる瞬間がある。その時の落差が大きいと感じるのです。
これは生まれた結果に対しても責任を持ちにくくなるので、クライアントの為にもプロジェクトの為にも、他の方を紹介するなどの対応をしている。
状況によっては「あー、この報酬は欲しい!」というタイミングもあるけれど、やはり断ることも礼儀かもしれないと考える様になりました。

「筋を通す」という言葉に納得した現代語訳

「筋を通す」は、なんだか任侠っぽいフレーズではあるのだけれども、実は物凄くシンプルな事で「自分がされて嫌な気持ちになることは、他人にしない」と翻訳することが出来ると思うんですね。
これって子供の頃に教えられたりしますよね。義理とか道理とか、上下関係とかそういう意味も「筋」にはあると思うのだけど、どうも現代の人との対話の中でしっくり来ない部分も感じていました。
何か良い言い換え方は無いだろうか?と思い浮かんだのはコレでした。
どんな状況であっても、ここに繋がってくると思うんですよね。能動的にも受動的にも。自分に関係する人たちは、周りで笑顔で居て欲しい。素のままで。

「貸し借り」はお金だけの話ではないなと思う

色々な案件に参加する中で「次はこうしよう」みたいな気持ちが湧くときはあると思う。請求に関しても「次からは、しっかり取ろう」とか。でも、この次回への期待って良くないんですよね。
案件毎に必ず自分の中で落とし所を見つけて、しっかり着地させること。これってとても大切だなって思う。
変に他人に期待を押し付けてしまうことにも繋がるし、逆に受けることにも繋がるし。まぁ人間関係の中でギコチナさを生む原因のひとつ。
お金の貸し借りも良くないけど、「恩」みたいな思いは絶対にダメだよね。
仕事に集中することや、結果を出す上で不必要な思いや無関係な要素を持ち込まないことこそプロフェッショナルなのかなって思う。

2016年5月18日水曜日

個人が出来ること、デカイところが出来ること

個人で動いていても、情報を追いかけるウチに大企業がやる活動にあこがれてしまう気持ちが出てくる。なんだろう「カッコイイ」とか、「楽しそう」とか。
やっぱり「楽しそう」という空気を生み出すのがそもそも上手だし、ターゲット層に自分が入っていれば、そこに素直に反応するのも自然なことだよね。
ただ、自分がやりたいことをそこに重ねすぎてしまうと、本末転倒というか残酷な結末が待っていたりもする。
自分のサイズを知ること。そして、自分が出来ることを知ることが大切。メンタル的な状況によって、過大評価も、過小評価もしがちなポイントなので、周りの人達と出来る限りこうした話はしておくと自分が見えてくるのかもしれないね。
そして、大切なのは「自分のセンスを信じること」。あまりにも社会に流れる情報が自分の好みとかけ離れていても、それは自分が社会から離れたコトではなく、まだ社会が気づいていないだけかもしれない。
自分の好きを「こういうことが面白いと思う」と発信することで、必ず共感する人たちがある。結果としてそれで食べれる事になるかもしれない。世界には60億人70億人と人が生きているらしい。
色々な情報ノイズに惑わされず、自分を信じて追い続けること。隣の芝は常に青く見えるけれど、他者から見れば自分の庭も美しくみえている事を知ること。
必ずしも誰もが憧れる庭を作る必要は無いけれど、自分が「この庭が好きなんだ」と言えることが大切なのかなって思う。
巨大企業に立ち向かおうとしたり、真似をしようとしても、人力も経済力も及ぶことは無いわけで、自分のサイズから出来ることと向き合うべきだろうね。
結果的に追いぬくことも、真似されることだってある。巨大組織に憧れる立場なんて凄くないか。
そこには、それを意識したスタートではなく、自分の見えている確実な一歩があったはずなんだよね。それを忘れないようにしよう。

2016年5月8日日曜日

安い労働力、過度な自己評価。適正に評価される場を、自分の未来を創ろう

「こんなに素晴らしい日本」という取り上げられ方はテレビにも雑誌にも多い。でも果たして本当だろうか?
賃金はアジア圏の中でも低く、豊かな国とは言い難い状況がある。でもこの国の中にいるのであれば、相対値でしか無く、その結果メディアに踊るのは「格差社会」の文字。実際には世界的な目線としての絶対値で見れば、その格差で計り知れないもっと大変な状況がある。
ガラパゴスであるのなら、ガラパゴスとして閉じたまま独自の進化を遂げれば良い。たぶんそれは平和の象徴。そこへ外からの文化・文明が入り込むと、不幸が起こりえるだろうと、昔偉い人が言ったとか言わないとか。
日本人のプライドは高いと思う。だから先のメディアの様なタイトルが日本人の心に響く。仕事に関しても同じで、品質管理についてのポイントも高いと思う。賃金に対してのオーバークオリティも見え隠れする。価格以上の答えを出すのが日本人の良い面であり、時に弱い面かもしれない。
良い物を作り上げるのは大切。手を抜くのは良いとは思わない。ただ、それだけの仕事をしたのであれば、相応の評価として賃金を得るべきだろう。
寝る間も惜しんで働く様なカタチで、自分の命を安売りしては結果的に評価を下げることになる。
自分を適正に評価されるパートナーや顧客を見つけるべきだろう。自分が心地よく働ける環境は自分で探し作ることが必要と思う。
自分自身に何が出来るのか?適正に評価される環境とは何か。問いながら未来を創ることが生き抜く手段かもしれない。

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