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20170927

「転職」を繰り返す人を現状からの逃避だと思っていた。

数年前までは「転職」を繰り返す人を現状からの逃避だと思っていた。「自分に合った職を」と、繰り返す人たちが周りに目立ってきたのは10年くらい前からかな。『終身雇用』みたいなのが崩れだした時。
それ見つつ「そんな数年働いたくらいで…。もう少し結果出してからで良いのでは?」とかが、その当時の僕の感想。
その頃、そんな目で見てしまっていたことを謝ります。古い価値観で物事見ていました。反省。

誰かのツイートかな?で見かけた記事で『外資系より残酷な日本企業』みたいなのがあって、「なるほど!」って思ったの。最近自分のFBで見かける違和感を説明してくれた気がした。
検索したらスッと出てきたのでリンク。

外資系より残酷な日本の大企業
http://artsandscience-kipling.blogspot.jp/2017/09/blog-post_16.html

ここのターゲットである40代がまさに僕ら。
仕事関係だけで繋がっていたSNSも、裾野が広がるにつれて仕事では出会わない様な昔の仲間達とも繋がるようになってきた。結果的に自分の知らない世界が、おもったよりも近くにあることを知らされる訳です。

実際に会わないまでも「こいつはもっと上に行くな」とか「なんとなく定年まで見えるな」みたいなのは、FBのエントリーやら、そのコメント欄で行われる同僚(と思われる)人たちとの文面から見え隠れしちゃう。
圧倒的に「社内と取引先だけ」でしか交流が見られない人は、ちょっと残念かも。SNSってそういう部分が顕著かもね。

いくら組織の中とはいえ、自分の外側に広がる世界を少しでも知ることは、結果的に自分の社会の中での客観的な自己評価に繋がるんじゃないかなって思う。
取引関係があるとするならば、やっぱり利害関係を踏まえた上での交流となるわけで、そこでの他者の扱いから見る自己評価は過大になりうる可能性が高い訳です。(太鼓持ちッ)

それで…、組織に属す上で、社会的な立場での適正評価っていつ受けられるのか?ってのの明確なタイミングは「転職」なんじゃないかな?って思った。
転職を意識した時、そして転職を試みるタイミングで、はじめて自分の評価が見える。時に残酷でありながら、自分の能力(才能)に気づく時でもあったりする訳です。

─ フリーランスって立場で働き続けてきた僕ですが、より優秀な人達は「フリーランス」と「組織に属すること」の良いとこ取りで「転職」という波乗りをしていることに気づいたりする。適度な社会的な保証も受けつつ、安定感も得つつ、ビックウェーブを乗りこなしながら、自分の才能を見つけて磨き、それを更に活かすという。

結局「逃避」と上辺だけの印象で見ていた転職組が、結果的に今の世の中での働き方に一番適していたっていう話。完全に余談ですが… ─

日本の古い企業の体質の中で、一番ずるいのは「飼い殺し」だよね。ある程度「守るもの」を手に入れさせた上で条件が悪くても抜け出せなくさせる。これってなんとなく『茶色い朝』の世界の凝縮版。組織の中で行われる『茶色い法律』と思考停止。(だからFBで会社の悪口書いちゃったりするわけ)

「“茶色の朝”を迎えたくなければ、思考停止をやめることです」 哲学者・高橋哲哉さん
http://kokocara.pal-system.co.jp/2017/06/12/brown-morning-tetsuya-takahashi/

行動することも無く、ただただ同様の立場で悪口を言い合いながらも相互監視しつつ、波風立てずに過ごす。そんな組織はまだまだ多いことをSNSを通しつつ知りました。
そんな組織が運営するのが地方のトップサービスみたいな地方社会。まぁ、企業自体は残念な評価だったりするけど、そこ利用するしか無かったりが地方の更なる残念(残酷)なところ。

うー。茶色いどころかドス黒いドロドロした空気を感じる。

話を戻しつつ。。。
「転職」という社会での自分の評価を知る(高くても、低くても)ことは、とても重要だなって思う今日このごろ。

20170926

フリーランスに向いてる人、組織への就職が向いてる人。

上手く説明できるかな?

「誰とでも仲良く」学校でよく聞かれる言葉。悪いことじゃないけど、嫌な奴は居るよね。基本合わない人は居てもおかしくない。自分が大丈夫でも相手がどう思うかはわからんし。

で、これ社会でも必要?ってことなんだけど、組織に属すなら必要だと思う。波風立てずというか、組織としては進む目標が同じわけで、そのために円滑に進める上で「誰とでも仲良く(支障が無い範囲で)」ってのが必要になるよね。

でも、フリーで働くカタチを取ると「無理に嫌な奴と仕事する必要ない」ってのが基本に来る。義務教育の呪いで、「誰とでも仲良くしなきゃなー」とか思うとドツボ。キツイのですよ。
「でも、仕事くれてるし」って言うのはダメ。気の合う人から貰う仕事の方が1000倍も1億倍も良いに決まっている。嫌な人の仕事は断って良いよ。
そうでなくても、タイミングによっては、断らなければならない仕事もあるわけで・・・涙

そう。↑ここが重要。

自分の時間の使い方を大切にすること

嫌な奴の仕事を取ることで、気の合う人との機会を失う事が残念なのです。気の合う人から重複しちゃう場合は、気持ち的にまだ穏やかだけど、嫌な奴の仕事が決まっちゃってて、、、となると精神的にも穏やかになれるはずはない。

フリーって「選べる」ってことなんだから、自分からキツイ条件の仕事をやっちゃいけないし、「これしかない」って自ら可能性を狭めて考えるのも良くない。
仕事が無いタイミングでは、ゆっくり休めば良い。遊びは経験となって、仕事にフィードバックされることは多々ある。

焦らない事が大切。
「でも家賃が…」とかあるよね。でも大体どうにかなるもんです。逆にどうにかならない人はフリー向きじゃない。
それで嫌な人との仕事取るくらいなら、どこかに就職して組織の中で人間関係の距離感保った方が、同じ負荷でも安定感もあるし、良いこと多いから。

フリーに向いてる人、就職が向いてる人ってこの部分が核かなって思うの。

生まれ変わったら何がしたい?

このタイトルで授業をしてみようと思う。
そもそも「生まれ変わったら」という言葉を言い訳に、好き勝手に意見が言いやすいのでは?という気持ち。

「じゃ、それを今やってみようよ」という切り替えで、さて学生はどう反応するか?

今は情報が多すぎて疲れちゃうよね

今の大学生はいろいろなストレスに囲まれていると思う。僕らの大学は「自由だ」と言われていたけれど、それでも「世の中の常識」みたいな物に付きまとわれていた。
明確な就職先を挙げられるわけでもないのに、なんとなく就職活動をしてみたり。エントリーシート書いてみたり。今思えば馬鹿だと思う。

自分の希望や野望に向かっての努力はすべき。とことんトライしてその場での全力を出し尽くすべきだ。でも、なんとなく周りに流されての判断だとするならば、振り回されている時間ほど無駄なものは無い。


やりたい事は無いの?って意地悪な質問だよね

「今やりたい事」その質問はある意味究極の質問であって、なかなか答えにくいのは想像できる。本音としては「やりたい事」は沢山ある。でも、口に出すことが恥ずかしいというか、怒られるのでは?というか、『くだらない事』とどこかで決めつけてしまって、自分の心の奥底に大切にしまいこんでしまいがち。
すると「やりたい事、無い気がする」って解答になっちゃうよね。

それが「生まれ変わったら」という言い訳を用意してあげると、大切にしまいこんだ細やかな希望や野望が這い出してくる。気がするんだよね。

でもそれって、本当は「今やりたい事なんじゃないのかな?」ってのが僕の気持ち。

輪廻転生はよく分からないけれど、今の僕には前世の記憶は無いのでw、やっぱり「生まれ変わったら」と言いつつも、やりたい事は今のウチにやっておいた方が良いのではないだろうか?


大学ってなんの為に行くのだろうか?

大学って今でもよく分からない場所だなって思う。義務教育では無いから、本来は自分の選択で全てが決まるべきなのだけど、なぜか強制される授業があったり。「単位」ってモノに振り回されたり。なんだかな。

大学に進学することで「卒業」って大切なひとつの目標ではあるのだけど、勉強は卒業してからもずっと続くから、その4年間頑張ったところで楽になるとか、あんまり無い気がするんだよね。逆にそこで安心しきっちゃう方が恐い。

会社に入ることが目的なら、それでも良いけど、入ったところで文句ばかりFBに流し込む様な人間にはなってほしくないよね。全ては自分の選択の結果。
望んだ結果が今のはずだから、そこをウダウダ言う輩は僕は苦手なんです。

脱線したね。

そう。なので、そんなカタチで学生の本音が引き出せたら面白いなって思うのですよ。

大学卒業が「大学卒」って就職に向けた肩書のためなら、その大学の在校生数千人と同じどんぶり勘定でしか評価されない場を望むってことになるの。わかってほしいな。
「自分を見て評価してほしい」って人間は、就活とか以前に募集されていないインターンやらバイトやらで潜り込んで、その職場で結果だしてるもんだよ。

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