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2005年5月29日日曜日

星新一の未来予想図と今

短編の神様と称される星新一の作品は、多くの作品に未来を描くものがあります。その中で、「工場はオートメーション化し、事務作業なども一切がコンピューターで処理されている。人の働く時間は削減され、今では午前中のみしか仕事がない」というものがありました。これを苦笑せずに読むことができるでしょうか?

確かに便利な世の中になりました。様々な物事が、時間を掛けずに解決してゆく。物理的なモノも、そうでないものも、全てが効率化された世の中になった。ではさて、実際の仕事量が減ったかというと、そうではない、逆に忙しくなっているのではないでしょうか?
人は常に多くを求める傾向にあります。より高いクオリティを求める。コンピュータが今までの物事を効率良く解決するならば、生まれた時間でよりクオリティを高めるべく、より突っ込んだ深い場所までつきつめる。
良く聞く話にこんなのがあります。「なぜかいつも締め切りギリギリまで作業をしてしまう。もっと計画的に時間を作れば、こんなにならないのに・・・」と。
でもこれは違うのではないでしょうか?例えば、スケジュールをしっかり立て、「この仕事量であれば、この期間で大丈夫だろう」となるとする。スケジュール通りに事が進めば、締め切り前夜にゆっくり眠ることが出来るか?というと、そうではないと思いませんか?
出来上がったモノを、より理想へ近づけるために更に試行錯誤してしまう。
クリエイティブな仕事は、1つの答えが見えにくい分、そんな状況が起こりやすい気がしています。ただ、時間を掛ければより良いモノが出来るか?と言えば、そうでは無い。様々な迷いや、決定する度胸も必要です。ただ、時間を味方に付け、締め切りをゴングとして、目の前の仕事に誇りを持つ。そうして戦う人も多いのでは無いかと思うのです。
けしてそれが正しいとは言い切れないのですが、より良いモノを追い求めることが進化であり、新しいものを生み出して来たとも言えるのではないでしょうか?
人間は欲張りな生き物です。追い求める限り、何もない時間はやってこない。

2015/07/18:追記
機械が仕事を請け負うという未来は既に事実となってきているけれども、結果として仕事を奪われると怯える人が居るのは悲しき未来。
星新一の描く世界には、ベーシックインカムという前提があると思う。過去から眺める未来には、そうした前提があるとするならそれが輝かしき未来なのだと思う。

2005年5月5日木曜日

経営者の思いと現場の思い、思考の根本の共有

ある編集者から贈られた本に、こんな内容がありました。
「技術は常に向上している。しかし、事故は決して減ることが無い。むしろ増えることさえある。そう、事故は人がおこしているのです。技術に頼りすぎるがために、気が緩んでしまう結果なのかもしれません。」
本の内容は「食」に関するものだったのですが、他の分野にも同じことが言えるのではないでしょうか?
別の場所で、最近の若い人が理解できないという経営者に出会った。
留守を頼んだ際に、電話がかかってきても、相手の用件どころか、名前さえも聞かずに「社長は留守です」と、切ってしまうのだという。
ただ、不思議と1から10まで教えると、その教えたことだけはしっかりこなすらしい。その経営者は、電話の受け答えごときに時間を費やすことなのだろうか?と。
僕自身にも同じような経験を持っているのですが、何かを頼むと教えていないことに対しての、レスポンスが悪いと感じることがあるのです。つまり臨機応変な対応が出来ない。相手の気持ちに立って動くことができないのだと思うのです。
前記の様々な事故に関しても、後記の行動に関しても、基本的には自分の意見、気持ちを持たないからこその結果ではないだろうか?と感じるものがあります。
マニュアル通りにした結果の、単純な事故。「マニュアルに記す以前の常識」というものが抜けてしまった結果ではないでしょうか?
「言われたから」「いわれたことだけ」「ここにそう書いてあるから」僕はそんな意見はけして聞きたくはないのです。僕に対しているあなたの意見が聞きたいのです。常に僕はそう感じています。
僕が相手をリスペクトするからこそ、相手も僕自身をリスペクトしてほしい。それを無視して、マニュアル通りの対応とは失礼ではないか?
大きな企業、団体でもそういう状況が良く見える。
先日ある役所の方と対面する機会がありました。僕は相手の意見を聞きたかったが、結果として一言も相手個人の声を聞くことはできませんでした。
そんな状況は公の機関に目立つ様に思いますが、社会全般にもそういう人間が多すぎはしないだろうか?
自分個人に責任を持ち、自分の意見を持ってほしい。
でないと、結果的には自分が無視されるだけなのだから。そんな状況は寂しすぎやしないか?全ては本人に戻って来てしまうのだから。
これらは、全てコミュニケーション以前の問題だと思う。

2015/07/18:追記
なんとも偉そうなことを書いてはいるけど、まあ一理あるかな。
大切な判断を現場に委ねきれないのは、時代の流れか。責任問題が大きすぎる様にも感じる。昔は曖昧だった物事が、どうも理屈っぽくなっている。結果として「現場で判断するな」って意見が出る状況も今はわかる。
なんとなくだけど、人間がデジタルな感覚を持ちつつあるようには思う。分かりやすく0か1。良い面悪い面ある。

2005年5月4日水曜日

廃棄を前提としないモノの選び方、付き合い方

FRPは無機物と有機物が複雑に混合された素材です。
ここで言うFRPとは、ガラス繊維を含んだ強化プラスチックのことです。廃棄処理が困難な素材の例として挙げてみました。大学生時代にメイン素材として扱っていたので、個人的に馴染みの深い素材です。
良く聞く言葉の中に、プラスチックって環境に悪いでしょ?ということ。
確かに、廃棄するにあたっては、その方法を誤ると環境に悪い状況になってしまいます。
全ての物事には、正しい扱い方というのがあって、その通りにすれば結果的に悪い方向へは行かない事が多いのではないでしょうか?
ただ、マイナス面、悪い部分に関しては、マスメディアは興味を持つ要素が強く、実際そちらの方が多く出回る事になっています。残念ながら、プラスチックはマイナスの情報が多い素材の一つだと思っています。
本題。確かに形あるものはいつか壊れる事になる。とはいえ、捨てることを前提にモノを考え過ぎるのも少し悲しいかなと思うのです。長く使う、長く引き継ぐ、そういうことが可能なモノであれば、どうだろう。
祖父が使っていた家具を受け継ぐ。祖母の祖母が使っていたカバンを引き継ぐ。そういうストーリーのあるモノが、身の回りにどれだけあるでしょうか。
今の世の中、自分一代であっても、長く使うことが難しいモノが回りに溢れている様に思えます。今だけ必要だから。そういう考え方を少し変えて、視点を「長く使うにはどれが良い?」と持ってくると、使う以上に様々なワクワク感が追加されたりします。また、それぞれの口を聞かぬモノ達にストーリーが加わり、眺めるだけで一晩明かせる時間を持つことが出来たりもする。
FRPは製造時に気を使いつつ、扱いさえしっかりとすれば、長持ちする素材の一つです。
モノはストーリーを持つと格段に魅力を増します。そんなモノを一つでも身の回りに置いてみたい。僕はそう思います。

2015/07/18:追記
FRPにそこまで思い入れが無い今ではあるけど、モノへの愛着や接し方はあまり変わらないでいつつもり。だけれども家電関連になると、やはり5年が限界かな?と思ったりもしている。はたしてコレは正しいモノとの付き合い方なのだろうか?
素材云々ではなく、持続可能でないモノが生活の中心部にある今は、なんて息苦しいのだろう?と考える人も分からなくはない。

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