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20170811

本気で生きるのは自分の為だけに

最近の環境がたまらなく良い。新しいことへ挑戦させてくれる。そして応援してくれるし、全てを信頼して任せてくれる。最高の環境が整っている。
僕自身としては、丁寧にひとつひとつに向き合う事で最大限出来ることを注ぎ込む。

常に本気で生きる人に囲まれている。無駄な時間は一瞬として無い。
他人に期待を押し付けることもなく、常に思い描く世界を実現させる為に出来ることを考えている。トライアンドエラーの繰り返しの中で、常に前向きに突っ走ってる。

誰かの期待に応えるような生き方でも無いし動き方でもない。その姿を近くから見ているだけで刺激を受けまくってる。

なんとなく人生の半分を過ぎたかなって思ってるのだけど、そんなタイミングだからこそ、もう無駄な時間は無いなって強く感じる。

若い頃こそ「誰かに褒められたい」とか、「認められたい」って気持ちはあったけど、それによって痛い思いをしたこともあったりする。
誰かの期待に応えようとする行為は、結果的に何も生み出さないってことも多いし。そこに期待してしまうと、結果的に悲しい気持ちになったり、怒りにも似たおかしな感情を持ってしまうこともある。勝手な行為なのだけど。

「仕事」が何を指すのか、人によって異なることがこの歳になって分かってきたのだけど、「仕事」が生活や趣味の時間を奪うモノと感じている人も居れば、「仕事」こそが楽しみや快感である人も居る。
この部分が異なる人同士で「仕事」という話が成立しないのも最近分かってきた。いくら近い人でも、人として好きだったとしても、永遠に交わることは無いと思う。

映像を仕事として請け負うことになってから、「おまかせで」という注文が多い事に驚いている反面、この点に強くやりがいを感じている。
依頼者は「これを撮ってほしい」という注文はあれど、構成や画作り的な部分の一切に関してのオーダーは少ない。

僕のところへ依頼してくれる映像の仕事に関しては、完全に作品づくりであって、作家として立場なのだと感じている。そう「作品づくり」なんだよね。

だから、「出来ました!」と見てもらうときの反応は毎回ドキドキとする。ものすごい緊張感でもあるのだけど、自分の全てを注いでいるのだから、その時その時の最高のモノ。これが依頼者の要求を満たしていなければ、それは僕の力不足ということになる。更に成長しない限り、いまは応えようが無いということでもある。
そんな潔さも持ち合わせていたりするから、不思議とストレスは全く無い。

「より良いモノを生み出すには」それだけを考えて、時間を過ごすのが今のタイミングなのだと思う。
物凄く気持ちよくて、エキサイティングで、楽しくて、嬉しくて、素晴らしい時間。

やっぱり「つくる」時間は好き。出来上がるモノは全てその時の「自分」でもある。
いつも思うけれど、人生の中で「今が一番」好き。

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