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2017年12月14日木曜日

時給400円で雇う会社が悪いのではなく、生産者が見えないまま、商品を購入する消費者が悪いのかもしれない。

メジャーなブランドの服の製造についてSNSで荒れている。「もうあのブランドは買わない」そんな声もあがるけれど、しばらくすると次の話題に埋もれていく。
良いことなのか、悪いことなのか、それこそ「人の関心」そのものだったりするんだよね。

仕事で炎上案件に関わったこともあるけれど、専門家曰く様々な手法はあれど「時が経つ」が最善策だったりするのも見てきた。一般的に道徳に反した行動・活動は良いとは言えないが、多くの人達の興味から外れて埋もれていった先には、知られていないことと同じ。
例えそれが商売だったとしたら、最悪看板を変えるだけでSNSには知られていないことと同じになる。時として恐いことでもあり、時として悲しいことでもある。

人件費時給400円で1万数千円の服を作っていたと。材料費や輸送、保管などのコストがどれだけあるか分からないけれども、消費者はその価値があると思って購入している。
ブランドはその値段で売れるコストで生産している訳で、そもそもの仕入れ値は分からない。
ここで誰が悪いのかわからないけれども、生産工場へ「この値段で、このクオリティで」という発注が通り、そのクオリティを維持したまま納品が出来ているのは分かる。

数千円もかからず出来上がる製品を、どの段階で誰が多くの利益を取っているのか分からない。もちろん、服は全バリエーション売れるとは限らないから、ロスも多いと聞く。むしろそのカタチが大量生産の課題であって、結果的にブランドとしても全体のラインを総括すれば、ギリギリの売上かもしれない。
大量生産の闇はここに見える。そしてそのシワ寄せが誰かに行っている。

クオリティの高い製品を安く作れるとしたならば、結果として馬鹿みたいに安く売る必要も無い。こうしたシワ寄せリスクに対する判断として「高いものを買えば良い」そういう判断でもなさそうだ。

多くの分野で多様な需要が生まれ、それに叶う供給も進みつつある。もう国民服の様に誰もが同じ服を着る時代ではない。むしろ自分が欲しいと思う細かな要求に対応できるほどの供給先を見つけることが出来る。
結果として個人ブランドの様なスタイルで細分化していくのだろう。大型大量生産の時代は今の若年層が社会の大部分を占める流れで廃れていくのだと思う。

時給400円で雇う会社が悪いのではなく、生産者が見えないまま、商品を購入する消費者が悪いのかもしれない。

特定のブランドの不買を唱えるのでは、また同じことを繰り返すだけだろう。
自分が手にするものと、もっとしっかりと向き合う必要がある。そんなことを考える炎上案件な気がする。

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