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20171031

横トリへ

会期も最終日に迫る中で、ヨコハマトリエンナーレへ行ってきた。
率直な感想としては、重い作品が多い。思想が強すぎた。

複数の作家を集めた展示では「テーマ」がとても大切だけれども、それが具体的であるほど、作家や作品が強いモノになる。
強い作品は存在としてパワーも持つし、人も引きつける。好き嫌いも強く出るからこそ、中途半端が無いとも言えるよね。

アートの解釈は人それぞれで良いと思っている中で、僕が求めているのは「美しさ」。
醜さや汚さ、ストレートな感情含めて「美しさ」と思う。

そこに「思想」が入ると、どうも苦手な部類となる。「感覚」と「思想」の間に何があるのかわからないし、説明もつかないのだけれども。

原発や戦争に対する意見は僕自身も僕なりに持っているのだけれども、それを載せた作品は作れない人間なんだと思う。
それよりも、「今の心地よさ」「あのときの美しいと感じた気持ち」「悲しかった光」「冷たかった感触」そういう事を表す作品が好き。自分もそういう作風だと思う。

そこから何を感じ、どんな答えを持つのかは、鑑賞者の自由であって、作家側からプッシュされすぎちゃうと、反射的にはねのけてしまう。

そういう意味では、そうした作品が多く見られた気がする。

良い悪いは無いと思うのだけど、僕個人としては肌が合わない場だった。



宇治野さんの作品が素晴らしかった。
始まりの「映像」から、シームレスに繋がる展示空間で起きる全てが、ひとつのミュージカルを見ている様で、とても心地よかった。
それぞれの見せ方もセンスがビンビン痺れる感じ。目に見える全て細部までが美しかった。そして格好良かった。



今回の横トリの掲げたテーマに対して、作家としてどう選考を通すのか?その答えの出し方と実際に展示された作品と、それらが「作品」だと感じた。
自分の作りたい世界を作り出した作家の評価が僕の中では高くて、自分の作風と今までの世界を変えずに新しく見せる作家が美しいと思った。

現実から目を背けるな。みたいなのは分かるけど、でも、多くの人が見たいのは「心地よい」ものであって、それによって、結果的に同じ行動を引き起こすのであれば、後者こそ優れている見せ方なのでは。

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