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2017年12月21日木曜日

無駄な摩擦はつくらなくていい。

大学に出入りしているときに顔の知ってる学生に会うと、自分の関係ないところの研究について好奇心で聞いたりする。
色々な分野があるもんだなって関心することも多いけれど、結構重要なことをテーマにしている学生も居たりする。でも答えの出し方が勿体無いなってこともあったり。

僕自身の考え方も偏ってはいるわけで、点数つける権限も無いから、どちらかというと無視すれば良い部類のノイズだったりもするのだけれども、それを知ってても口出しちゃうのが僕。

色々な研究のススメ方や、研究のまとめ方とか「もっとこうした方が社会的に認知度が上がるんじゃない?」って話をすると、「いや、そうは思ったんですが、担当の先生が…」みたいな声がある。

担当の先生が点数つけるわけで、卒業する為の研究なら、そうなるよね。って思いつつ。うーんと考える。『本当は何の為の研究なんだろう?』と。
自分が興味を持ち、学生生活の多くの時間をかけて取り組む研究は、学校の卒業のためだけのものなのか。それ使って新しい研究に進んだり、ビジネス起こしたり、世界が幸せになったりするもんじゃないの?とか。

閉じた学校という世界の中だけで完結するためだけの研究って、人生で意味あるのかな?長いものに巻かれろみたいな、上司の意見には逆らえないんですよ。みたいなサラリーマンの声に似てる。
高い学費出して、そんなカタチで取った「大学卒」って看板にどんな意味があるのか疑問に感じちゃう。

「いや、僕はこの研究が世界の役に立つと思うので、先生の提案は無視します」って言って学校の卒業資格もらえなくても良いんじゃね?って思うのよ。
そんな一人の先生に認めてもらうよりも、社会へ発信し、必要な人達に届けるには?って考えながら、自分の研究に結果出す方法を考えるって大切。

でもね、現実問題がここで起きる。
「大学折角入ったんだから卒業したいよね。」と。学費が親負担だったりすると、更にこの比重が高くなる。うんうん。

だとしたら、大学の先生の意見に従うカタチで研究を進めて、波風立てずにまとめるっていうのがスマート。で、その上で外に向けたカタチで適したスタイルの結果を別にまとめて、発信すれば良い。
閉じた場で上手く行かない輩が、開けた場で上手く行くとは言えず。だとしたら、八方美人的に各場へ適した発信をするのが良いのですよ。

一番大切なのは、「大学時代の集大成」と言える研究を、閉じた場だけの評価で終わらせるのは勿体無い。社会に問いてこそ、その正しい評価があるんじゃないかな?って思うんだよね。厳しい意見もある、思いもしない展開もある。それが社会で毎日起きてるじゃん。

そういった接点、自ら生み出しても良いんだよね。
つまらないサラリーマンにならない様にね。会社の愚痴ばかり言って、会社の看板取ったら誰も相手にしない様な中身の無い中年はキツイよ。

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