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20160718

食べた経験がある人しか、その美味しさを知らない。

常識って自分の身の回りの範囲のことなんだよね。だから、全く違うフィールドを持つ人達と出会って「常識が常識でない」を知ることになる。

学校で授業を持たせてもらうことで、いくつか実験的に思い浮かんだ事を端から試しながら進めてきたのだけど、ここで実感したのが「知らない事は分からない」ということ。
何を言っているんだ?という感じだけれど、その文字にすると当たり前の事が全く理解出来ていなかった。


授業で「面白い情報があるよ」「楽しい情報だよ」と与えても全く理解出来ない。初めは『興味が無いのかな?』程度に感じていたのだけど、全くそうではないことに気づいたりもする。

企業との連携を授業へ持ち込んでみたのだけど、その企業名は知っている人は多くても、その対象となった商材への興味がいまいちだった。
そもそも、その企業に対しても「あの有名な会社だ〜」くらいの感覚で、その企業の業務内容や哲学などは知る由もないし、一緒に取り組む体制が作れてなかったなと反省する。

「興味を持てば各自調べたりして、貪欲に入り込んでくるだろう」と考えていたのは失敗で、そもそも調べるほどに興味を持ててなかった。『知ってる=興味を持つ』では無いし、自発的な検索以外は負担でしかない。
彼らは与えられるモノに対して、抵抗なく受け取るけれども、自ら一歩踏み込むことはしない。


また、社名は知っていても、その企業が持つ魅力を知らない。知らなければ調べるという事も、まず一段ステップを踏む必要がある。

企業と一緒にプロジェクトを進める楽しさも、体験したこと無いから面白さが想像出来ない。だから楽しいのかどうか分からないのだ。


企業の担当プロジェクトが行うイベントに学生を特別に参加させてもらった。その企業が関わる商材を体験して全てが変わった。「こんなに楽しいのですね!」「みんなにも体験してもらいたい!」と。そんなレポート。

知れば夢中になるし、どんどん踏み込んでくる。そこからの動きは、僕が初期に望んだ動きにようやくなった。


無意識に自分の常識で動いていたなって反省をする。大学生という全く異なるフィールドに居る人達から教えてもらったひとつ。
年齢も僕の半分なのだから、経験も約半分と考えても良いかもしれない。ただし、僕が知らない経験をしているということもあるから、どちらが優れているとは思わない。教えることもあれば、教えられることもある。


学校での学生と講師という関係は不思議なものだ。


専門的な知識は経験と共に持っている。自分の目で見てきたことは、しっかり伝えることが出来る。僕に出来るのは一種のサバイバル術だと考えてる。

でも、時代時代で必要な手法や、使い方を知るべき道具の種類は異なってくる。だから本当に伝えられることは根本にある考え方なのだと思う。
それも「僕はこう考えてきた」という事実であって、これがそのまま役立つのか、反面教師となるのかは学生次第。


だから、「こんな楽しいことがあるよ」という情報を流すだけでは全く意味が無いのだと知った。それは僕の主観であり、僕の周りの人たちが興味を示す情報なだけであって、それは常識では通用しないモノゴトなのだ。

まず体験させることが大切だと思う。それは必ずしも成功体験である必要はない、食事で言うなら「味見」で良いのだ。

今後に機会があるとするならば、その「体験」をどう与えることができるか?そこにターゲットを絞ることが大切だと考えた。

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