90年代の曲を聞いていたら、「支配者たちが〜」と歌詞が出てきた。
高度成長期からのバブル。それが弾けた辺りでも、ある程度人が動かせる社会だったのかもしれないなって思う。
実際今もそういう動きの役割もあると思うけれど、その経済ラインからは外れたお金の動きが大きいなって感じる。
二極化とか、貧富の格差とか言われているけれど、たぶん経済活動の流れの中で巨額の金額が動くビジネスも、比較的少人数で動かしている現状があるからだと原因をそこに感じる。
利益を分配しても得られる人たちは少ない。結果的に一人あたりの獲得も大きい。多数の人達から集まる売上が、少人数の人たちに入る流れはココがひとつだなって。
中間層が減るのもここ。
もちろんその理由はコンピューター。一人会社だって経営出来るし、デジタルコンテンツなら販売・DLまで管理ができる。
高度成長期には「宛名係」が居るくらい。きれいな文字が書けるだけで仕事があった。ワープロやPCでその人は必要なくなった。
経理ソフトがあれば、経理の人数を減らし、場合によっては他の業務と兼務できる。
どんどんと必要な人が少なくなる。
歯車と言われている時代の方が、もしかしたら良い時代だったかもしれない。
結構恐い時代に来ちゃったなって思う。
この先の未来にあるのは、ベーシックインカムかなって思う。経済を動かし、これだけの人口が生活を行う上で必要なサービスに、関わる人がどんどんと減っていく中では、仕事をして最低限の生活費を稼ぐという社会は崩壊しているんだと思う。
そろそろ世界的に次のフェーズ入ってるよね。
20161108
TokyoDesignWeek事務局が今からすべきこと。
トップページに貼られていた「場違いなメッセージ」は、ようやく入れ替えられた様です。多くの意見もあり、その反響に驚きつつの作業と思います。
そもそも掲載されていた本文は「関係者宛の連絡メール(またはFAX)」そのものを貼り付けたのだと考えています。でなければ、あの書き出しは無かったでしょう。
つまり、社会に対するコメントよりも、協賛社を主にした関係者へのメッセージを優先した結果と思います。それくらい社会を蔑ろにしています。
現状掲載されているコメントも、現状社会が求めている情報の提示とはかけ離れ、適したものとは言えません。
では、今事務局は何をすべきなのか。
─
・事件に対する事実確認として、事務局が把握している情報を全て掲載する。
・事件が発生した経緯を時系列で整理する。
・事件発生から事務局側の把握、判断と指示、各機関への連絡などの時系列で整理する。
・学生チームを管理していた運営事務局側の担当者の業務についての確認。
・TDW代表者個人のコメントの掲載。
─
本来こうしたイベントでは、参加者は運営者により守られるべきであると考えています。その理由として「その表現を許可したのは運営者だから」となります。
その会場内で起きた事故は、来場者にとって【「作家」の事故】ではなく【「イベント」の事故】なのです。
今回TDWの事務局はここの意識が弱い。だから他人事の様なコメントの掲載をしてしまうのです。
そして、社会はその解答を求めている。
その場でその時何が起きていたのか。今はSNSに流れる現場に居た人たちの証言からしか想像することができません。
事故時に入場を中止できなかったのは、事故を把握出来ていた人が不在だったからだと思います。であれば、その連絡系統や各機関への連絡など時系列で整理すべきです。
それによって、現場での混乱と中止判断の遅れなど把握することが出来るのです。
今、事務局が今求められているのは「説明責任」なのです。
─
コメントに関しても、ずっと連名に飾りとして掲げられた間に合わせの言葉ではなく、代表者のひとりとしてのコメントがあるべきです。
TDWの代表者と、学生作品の委員長の責任のなすり合いを見たい人はどこにも居ない。
─
そして、未来ある学生達をまずは守る動きをしてあげるべきだ。
彼らは大きなミスを犯したかもしれない。ただ、現実として起きてしまったことはあまりにも学生たちが背負うには大きすぎる。
ここからは周りの大人達がケアをしてあげるべきです。
誰を責めても、失った5歳の子の人生は戻ってきません。
我々は、とても悲しく悔しいのです。
この子の受けた苦しみと、この子の周りの方々の悲しみを繰り返してはいけない。
なぜ事故が起きたのか、なぜ巻き込まれなければならなかったのか、事故は複数の原因が重なった結果であることが多いのです。
多くのアートイベントの関係者は「他人事ではない」と口をそろえて言います。だからこそ、今回の原因を明確にすることで、他の場での隠れた危険を無くすことが出来るかもしれない。それがTDWの今背負う使命です。
TDWの事故は二度と起こしてはいけない。だからこそ、情報の明確な共有が大切なのです。デザイナーなら分かりますよね?「デザイン」を語る場に居るのなら、言葉の意味も分かりますよね?
今、デザインに出来ることはなんですか?
TDW代表に問う。
そもそも掲載されていた本文は「関係者宛の連絡メール(またはFAX)」そのものを貼り付けたのだと考えています。でなければ、あの書き出しは無かったでしょう。
つまり、社会に対するコメントよりも、協賛社を主にした関係者へのメッセージを優先した結果と思います。それくらい社会を蔑ろにしています。
現状掲載されているコメントも、現状社会が求めている情報の提示とはかけ離れ、適したものとは言えません。
では、今事務局は何をすべきなのか。
─
・事件に対する事実確認として、事務局が把握している情報を全て掲載する。
・事件が発生した経緯を時系列で整理する。
・事件発生から事務局側の把握、判断と指示、各機関への連絡などの時系列で整理する。
・学生チームを管理していた運営事務局側の担当者の業務についての確認。
・TDW代表者個人のコメントの掲載。
─
本来こうしたイベントでは、参加者は運営者により守られるべきであると考えています。その理由として「その表現を許可したのは運営者だから」となります。
その会場内で起きた事故は、来場者にとって【「作家」の事故】ではなく【「イベント」の事故】なのです。
今回TDWの事務局はここの意識が弱い。だから他人事の様なコメントの掲載をしてしまうのです。
そして、社会はその解答を求めている。
その場でその時何が起きていたのか。今はSNSに流れる現場に居た人たちの証言からしか想像することができません。
事故時に入場を中止できなかったのは、事故を把握出来ていた人が不在だったからだと思います。であれば、その連絡系統や各機関への連絡など時系列で整理すべきです。
それによって、現場での混乱と中止判断の遅れなど把握することが出来るのです。
今、事務局が今求められているのは「説明責任」なのです。
─
コメントに関しても、ずっと連名に飾りとして掲げられた間に合わせの言葉ではなく、代表者のひとりとしてのコメントがあるべきです。
TDWの代表者と、学生作品の委員長の責任のなすり合いを見たい人はどこにも居ない。
─
そして、未来ある学生達をまずは守る動きをしてあげるべきだ。
彼らは大きなミスを犯したかもしれない。ただ、現実として起きてしまったことはあまりにも学生たちが背負うには大きすぎる。
ここからは周りの大人達がケアをしてあげるべきです。
誰を責めても、失った5歳の子の人生は戻ってきません。
我々は、とても悲しく悔しいのです。
この子の受けた苦しみと、この子の周りの方々の悲しみを繰り返してはいけない。
なぜ事故が起きたのか、なぜ巻き込まれなければならなかったのか、事故は複数の原因が重なった結果であることが多いのです。
多くのアートイベントの関係者は「他人事ではない」と口をそろえて言います。だからこそ、今回の原因を明確にすることで、他の場での隠れた危険を無くすことが出来るかもしれない。それがTDWの今背負う使命です。
TDWの事故は二度と起こしてはいけない。だからこそ、情報の明確な共有が大切なのです。デザイナーなら分かりますよね?「デザイン」を語る場に居るのなら、言葉の意味も分かりますよね?
今、デザインに出来ることはなんですか?
TDW代表に問う。
20161107
TDWのデザインとは見た目だけの薄っぺらな華やかさだけなのか?
ユーザーの求めている情報の分析、そして整理された発信こそデザインの必要とされる場だ。
しかし、現在のTDWのサイトは何も伝えていない。誰あての文章化分からない言葉が並び、本日の中止を伝えているだけだ。
完全なユーザー不在。それはデザインを語るイベントの末路なのか。
一時期は並んでメディアへ掲載されたイベントの事務局に関わって来たからこそ、この対応が悔しく悲しい。
昨夜まで見れていた下層ディレクトリは、トップページへとリダイレクトされている。しかしトップページのメタタグはそのまま、自分たちの宣伝を続けている。
事件の真相や経緯、その現状を伝えようとする誠意は全く見えない。
社会が求めているのは、今掲載されている情報では無い。誰の責任かと責め合う事務局が手に取るように見える。そんなことはどうでも良い、ひとりの未来が消えた。
作品を作った学生たちの落ち度だけでは済まされない、彼らも見方を変えれば被害者だ。お金を取って来場者を集めたのは、間違えなく運営者なのだから。
その責任は全ての運営者にある。
誰が偉く、誰の指示で事件が起きたということではない。間違えなくひとりの命が絶えたのだ。完全な人災。あえて重い言葉を使うなら、これは殺人事件だ。それも責任のがれをしている状態。最悪だろう。
多くの名を連ねる著名人が他人事の様にSNSにコメントを流している。「残念で仕方がない」そこに当事者意識は全く見えない。「申し訳ない」と、なぜその言葉からはじめられないのか。
その責任の重さを実感出来ないのであれば、名を掲載する事の重さが分からない馬鹿だ。
既に、報酬を受けながら何らかの肩書を持っていた外部の人間は、その金銭を全て返還し逃げている人間も少なくはないだろう。
最悪だ。こんな見せかけだけの薄っぺらい「デザイン」という名のイベントが、それだけの著名人の名を連ねて開催されていたことが。
全員の責任でしかない。
社会の注目も集まっている。誠意を持って、状況を伝えるべきだ。
─
クリエイティブに携わる人として、今回の事件は全く無関係とは言いにくい。イベントを運営する立場から、関係ないと言い切れない。外から見れば同じ種。
だからこそ、このブラックボックス状態の運営が悔しい。本当に悔しく、悲しい。
被害者だけでなく、社会に対して全ての情報を伝え共有したい。ただ淡々と事実を出したい。
今社会が問いているのは、誰が悪いかじゃないんだよ。それは分かってるよね?
学生を連れて、色々な会社へインタビューに行く活動をはじめました。
基本的にその学生が気になっている業界の職場へ突撃させて頂いています。なので学生は都度2名程度で入れ替り。
<<既にご協力頂いた方々へ感謝致します!>>
その後、その繋がりを活かすも殺すもその学生次第だと考えているので、何らかのアクションを強制したりはしていません。ただ、その興味を通して、学校の外にある世界に気づいてもらえたら良いなと思っています。(その分、僕がレポート書いても良いのかもしれないね。。。)
「困ったときに電話する相手がいることが大切」と。
ここで言う『困った』は、仕事で自分の範囲を越えた業務で、外注先という意味でもあるのですが、場合によっては仕事に疲れた時に愚痴を言う相手ということでも良いのかもしれません。
困った時に「この仕事頼めないかな?」という相手は多い方が引き出しは増えるし、疲れた時に気を抜いて馬鹿な話が出来る相手も多い方が良いかもしれない。
20161106
TDWの事故について、アートイベント運営側の立場から考えること。
規模は違えど、過去に不特定多数の来場者を招くアート・デザインのイベントを運営側のひとりとして参加していた。
当時からTDWは存在していて、経営的な面でも複数の企業が出展するコマーシャルイベントとして成立している面で尊敬していた。
そのTokyo Designers Weekで今日、想像を越えた事故が起きた。
それはその状況を想像するに、とても悲しい事故だった。
あのTDWで、なぜこんな事故が起きてしまったのか。秋のデザインイベントとして単独で巨大化するコマーシャルイベントの場として、運営管理に慢性化していたタイマンがあったと責められても仕方ないのではないだろうか。
入場料も安くは無いが、出展料も安くはない。だからこそ、そうした企業側が入るブースエリアや、知名度の高いアーティストのライブなどの場の対応に主要なスタッフが割かれ、疎かになった隙間に起きてしまったのでは無いかと推測してしまう。
イベントの花形として、やはり宣伝力や広報力が強くメディア露出の多い企画に対して、多くの注意を払うのは自然な流れだとは思う。一般的な企画よりも、多くの危機予測を行いシミュレーションしているはず。そして多くの対応を準備しているだろう。
多額の出展料を出し、スポンサーとしてお金を払い、有名アーティストがライブを行う会場として、少しでも危険性のある環境に客を入れることを納得するはずがない。
では、事故が起きた学生達の野外エリアはどうだろうか?
TDWの関係者としては多くの著名人が名を連ねるが、実際現場の仕切りや運営・責任体制は疎かになっていなかっただろうか?
現在TDWのトップページから様々なリンクを外しまくったサイトや、明日の開催中止を発信するNEWSがダブって上がっていたり。多くの混乱が見える。
この規模のイベントにして、今回予期しない事が起きたのだと分かる。ただ、全てを隠してしまう様な対応は印象として良くはない。
結果的にTDWの事故は「事前に防ぐことが出来たのでは?」と思われる意見も多い。起きてしまった事に対して云々というよりも、そうであるならば運営者としてどういう判断をし、危険や事故予防に対する指摘はできなかったのだろうか。
今回のTDWでの事故は運営者サイドの責任は大きい。
─
もう最後の開催から6年が経つけれども、自分たちのイベントについて振り返れば、もちろん同じように事故が起きうる可能性は持ち合わせていた。
不特定多数を招くイベントを行う立場であれば、規模の大小に関わらず同じリスクを持ち合わせているとも言える。
大切なのはそれをどれだけ減らし、事故を未然に防ぐことが出来るか?だ。
僕らのイベントでは、多い時で100箇所を超える空きビルや空き部屋を会場にしていた。その中には大手不動産会社所有の物件もあり、そこで使用の条件として出される内容がとてもハードルが高いものだった。
しかし、これが僕らが安全に対する意識を高めるキッカケにもなっていた。
例えば「空間演出に使う素材は難燃性・防火性処理を施したモノであること」など。
この約束の為に基準を満たす素材を用意し会場の遮光や、映像の為のスクリーンを設営した。空間演出の担当者は管轄の消防とも打ち合わせを重ねていたのを知っている。
事故や火事などへの意識は、貸主からの意識として当然高く、各会場の消火器などのチェックなどもあり今でも頭に入っている。電気系統の配線やヒューズの有無なども覚えている会場もある。
もちろん完璧では無い部分もあった。その場合は来場者の有無に関わらず優先してスタッフの人数を増やし人力で対応するしかなかったけれど…。
イベントに対する保険に入ることで、保険会社の窓口となって頂いた方と何度もシュミレーションを行い、起こりうる想定に対して事前対策を整えることもできた。ライブなどを行う場では、安全な避難経路を一緒に考えて誘導のアイデアなども作ってくれた。
色々と関わって頂いた関係者がいてこそ、イベントの素人集団ながら強い体勢が組めたと思う。
結果的に大きな事故は無かったものの、それでも無事に一日一日が過ぎる毎に、運営者全員に報告する一日のメールには緊張感があったことを思い出した。
今回のTDWの事故。本当に、本当に悲しくて、悔しくて、辛い事故でした。
─
追記[11.07 00:24]
今回TDWでは事故後も会場内にインフォメーションが無く、運営が続けられたことが報告として上がってきました。結局現場とイベントの責任者への連絡系統がつながっていない事が露出してしまったカタチですね。
モノゴトを判断し動かせる人間が現場に居ない。そして、席をたまたま外していたとしても、数時間は連絡が付かない状況だった。その間誰も判断がつかなかった結果でしかない。
そして未だに責任者からのコメントが掲載されていないのは疑問です。「状況が分かり次第報告を行う」というコメントだけでも上げるべきです。
事務局が全く機能していない。
当時からTDWは存在していて、経営的な面でも複数の企業が出展するコマーシャルイベントとして成立している面で尊敬していた。
そのTokyo Designers Weekで今日、想像を越えた事故が起きた。
それはその状況を想像するに、とても悲しい事故だった。
あのTDWで、なぜこんな事故が起きてしまったのか。秋のデザインイベントとして単独で巨大化するコマーシャルイベントの場として、運営管理に慢性化していたタイマンがあったと責められても仕方ないのではないだろうか。
入場料も安くは無いが、出展料も安くはない。だからこそ、そうした企業側が入るブースエリアや、知名度の高いアーティストのライブなどの場の対応に主要なスタッフが割かれ、疎かになった隙間に起きてしまったのでは無いかと推測してしまう。
イベントの花形として、やはり宣伝力や広報力が強くメディア露出の多い企画に対して、多くの注意を払うのは自然な流れだとは思う。一般的な企画よりも、多くの危機予測を行いシミュレーションしているはず。そして多くの対応を準備しているだろう。
多額の出展料を出し、スポンサーとしてお金を払い、有名アーティストがライブを行う会場として、少しでも危険性のある環境に客を入れることを納得するはずがない。
では、事故が起きた学生達の野外エリアはどうだろうか?
TDWの関係者としては多くの著名人が名を連ねるが、実際現場の仕切りや運営・責任体制は疎かになっていなかっただろうか?
現在TDWのトップページから様々なリンクを外しまくったサイトや、明日の開催中止を発信するNEWSがダブって上がっていたり。多くの混乱が見える。
この規模のイベントにして、今回予期しない事が起きたのだと分かる。ただ、全てを隠してしまう様な対応は印象として良くはない。
結果的にTDWの事故は「事前に防ぐことが出来たのでは?」と思われる意見も多い。起きてしまった事に対して云々というよりも、そうであるならば運営者としてどういう判断をし、危険や事故予防に対する指摘はできなかったのだろうか。
今回のTDWでの事故は運営者サイドの責任は大きい。
─
もう最後の開催から6年が経つけれども、自分たちのイベントについて振り返れば、もちろん同じように事故が起きうる可能性は持ち合わせていた。
不特定多数を招くイベントを行う立場であれば、規模の大小に関わらず同じリスクを持ち合わせているとも言える。
大切なのはそれをどれだけ減らし、事故を未然に防ぐことが出来るか?だ。
僕らのイベントでは、多い時で100箇所を超える空きビルや空き部屋を会場にしていた。その中には大手不動産会社所有の物件もあり、そこで使用の条件として出される内容がとてもハードルが高いものだった。
しかし、これが僕らが安全に対する意識を高めるキッカケにもなっていた。
例えば「空間演出に使う素材は難燃性・防火性処理を施したモノであること」など。
この約束の為に基準を満たす素材を用意し会場の遮光や、映像の為のスクリーンを設営した。空間演出の担当者は管轄の消防とも打ち合わせを重ねていたのを知っている。
事故や火事などへの意識は、貸主からの意識として当然高く、各会場の消火器などのチェックなどもあり今でも頭に入っている。電気系統の配線やヒューズの有無なども覚えている会場もある。
もちろん完璧では無い部分もあった。その場合は来場者の有無に関わらず優先してスタッフの人数を増やし人力で対応するしかなかったけれど…。
イベントに対する保険に入ることで、保険会社の窓口となって頂いた方と何度もシュミレーションを行い、起こりうる想定に対して事前対策を整えることもできた。ライブなどを行う場では、安全な避難経路を一緒に考えて誘導のアイデアなども作ってくれた。
色々と関わって頂いた関係者がいてこそ、イベントの素人集団ながら強い体勢が組めたと思う。
今回のTDWの事故。本当に、本当に悲しくて、悔しくて、辛い事故でした。
─
追記[11.07 00:24]
今回TDWでは事故後も会場内にインフォメーションが無く、運営が続けられたことが報告として上がってきました。結局現場とイベントの責任者への連絡系統がつながっていない事が露出してしまったカタチですね。
モノゴトを判断し動かせる人間が現場に居ない。そして、席をたまたま外していたとしても、数時間は連絡が付かない状況だった。その間誰も判断がつかなかった結果でしかない。
そして未だに責任者からのコメントが掲載されていないのは疑問です。「状況が分かり次第報告を行う」というコメントだけでも上げるべきです。
事務局が全く機能していない。
登録:
投稿 (Atom)
人気の投稿
-
規模は違えど、過去に不特定多数の来場者を招くアート・デザインのイベントを運営側のひとりとして参加していた。 当時からTDWは存在していて、経営的な面でも複数の企業が出展するコマーシャルイベントとして成立している面で尊敬していた。 そのTokyo Designers Week...
-
高尾山口の標高は191m程度らしい。高尾山山頂は599m。だから実際に登る標高差は408mですね。都心部から電車で気軽に行ける山のイメージがあって、東京では有名な山のひとつだよね。 八王子育ちの僕は小学校の遠足で登ったのを覚えている。4年生くらいだったかな? 今日、八王子で...
-
「なぜ働くのか?」これ海外での感覚は分からないけれど、日本であれば学校を出ると働くもの。と。他の選択肢が無いままに提示されている感じはある。特に学校の中だけで活動を集中させると、その感覚はより強いものとなる。 「生きていく上で、生活費が必要。」これは確かに。 学生時代までは...
-
平日にちょこっと遊びに出れるのは自営業の特権。「日曜日が休み」という仕組みを早く廃止にした方が良いと思う。仕組みというか、その概念というか。 日曜日に観光地やそこまでのルートは混雑し、その結果平日には閑散としてしまっている現状がある。 「牧場」と、ふらっと検索して出て...
-
僕らは勉強してるが、目的は成績じゃない。 成功ではなく、優秀さを追求しろ。 成功は自ずと付いてくる。 「優秀であれば良い。優秀であれば成功する。」とあったのが、『きっと、うまくいく』という映画。インドが舞台の大学生の話。そして、その後にそれぞれどんな大人になったかを描いた作...
-
大学受験を控えて、気分転換に脚を運んだのが「国立西洋美術館」。その時は学校をバックレたのだと思うけれど、平日の朝一で上野へ行った。 外は日差しが暑い頃だったけれど、室内へ入るとひんやり心地よい空間だったのを覚えている。特別な展示は無くて、いわゆる常設展。通常の料金は学生という...
-
就活の本来の意味は? 仕事に出会うための活動をせず、狭い世界の中で決めていないか? ナカムラケンタさんの「 日本仕事百貨 」を見ていると、こんなに丁寧に仕事に向かい合っている人がいるのだと、日本人が好きになったりもする。メディアで騒ぐ情報は、心地よいものばかりじゃないから、...
-
これといって次に思い浮かぶSNSが無いのも事実。greeもmixiも遠ざかって久しい。 instagramは情報交換の場だよね。twitterは使ってる人の偏りも感じる。便利という視点では、facebook メッセージとLINEか。Snapchatは仲良しのコミュニケーションツ...
-
ユーザーの求めている情報の分析、そして整理された発信こそデザインの必要とされる場だ。 しかし、現在のTDWのサイトは何も伝えていない。誰あての文章化分からない言葉が並び、本日の中止を伝えているだけだ。 完全なユーザー不在。それはデザインを語るイベントの末路なのか。...
-
Macを初めて友人から買ったのが19歳とかだから、かれこれ20年以上Mac使ってる。何度か大きな変更で戸惑ったりもしたけれど、また最近Windowsを並行して使い始めて、あらためてMacの良さが分かった気がする。 理由としては、なんてこと無い習慣的なことだから「やっぱりWin...