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20160707

CMを作るくらいなら、フィルム作品の発表の場として新たな才能のパトロンにならない?

CMってテレビ見る上ででは邪魔だよね。これはテレビと出会ってから感じていたこと。たぶん多くの人が同じこと思っているのでは?

でも、昔から好きなCMはいくつかあった。たまたまビデオで撮れてたりすると、メインの番組よりも繰り返し見たり。いつ流れるかなんて分からないから、たまたま出会えるかどうか?みたいなのが嬉しかった。シーズンが変わって、CMが次のバージョンに変わり残念に思う、なんてことも。


CMはどれだけ見られているのか?


数年前から個人的に、興味のある番組だけを録画して1.3倍速で見る習慣が出来たけど、HDDが飛んでからテレビはつけなくなった。最近はamazonビデオか、apple TVのコンテンツをスマホより大きな画面で見たい時くらいしか電源入れない。

個人的にはCMってそんなに嫌なものでは無い。
目的のコンテンツの間に強制的に挿入されるから、どうしても違和感があるけれど、それでも「あ、面白いな」って作品もある。そう、ショートフィルム気分で気分転換に楽しんでたところもあった。
それがいつからか楽しめなくなったのは、テレビ局側の扱い方じゃないかな?


CMの扱いが雑だから視聴者が嫌悪感を抱き始めたのでは?


いつの頃からか、テレビ局側のCMの扱い方が雑になったと思う。集中的に無理やり多くのCMを流そうとしたり、メインコンテンツをブチ切りにして、違和感ある突発的な入れ方をしたり。この扱い方が視聴者のCM嫌いを加速させたんじゃないかな?もともと強制的に見せられてたものだったわけだし。

視聴率の高い番組だからこそ、広告が入ってCMが流れる。だからこそ番組はより良いコンテンツにすべく制作費として更にお金を使えるはずなのに、そのCMを雑に扱い視聴者をCMから遠ざけていると感じるのよ。


TVで見なくても、見たいCMは見る。


「CMは製作会社の作品じゃ無い」なんて意見もたまに見るけれど、これは難しいポイント。見たいと思うCMは、企業サイトを訪れてでも見たいと今でも思う。

録画でテレビを見る限りCMは飛ばされがちだけれど、視聴者が検索してサイトを訪れてまで見たいと思うCMはどの程度の効果があるのか?

いや、実際テレビをつけなくなった今、テレビでCMを見るよりも、検索して企業サイトからCMを見ることが割合としては大きい。(その癖、ネットに流れる広告は見ないし、見たいとも思わない。)それは必ずしも商品や企業が際立ったモノではないかもしれないけれど。

この話になると「CMって効果あるの?」って話になる。話題性のある映像コンテンツは、それなりの影響力はあるんじゃないのかな?少なからず、何も発信しないより強い力を持っていると思う。

ただ一方で、魅力の無いCMは発信しない方が良かったという逆方向の効果も生まれることは知ってる。


そろそろ割りきってCM枠をショートコンテンツの発表の場にしません?


ショートフィルム的なコンテンツと割りきって、その作家の才能にスポンサードするって割り切る考え方も面白いかもしれないよね。企業がパトロンとなって、才能ある映像作家や役者がショートフィルムとして作品が流れる枠を提供する。

テレビ番組とCMという関係から考えると、もう何がメインコンテンツか分からなくなりそうだけど、テレビコンテンツにスポンサードするより、よっぽど世論の理解や意味のあるCM枠の使い方に繋がる気がするよね。


発信出来る枠を用意するだけ。そして才能を探し、出会う楽しさが溢れる。


僕が昔関わっていた【CET】では「発表の場を無料で用意するから自由に表現しないか?」と、それぞれ関わるディレクターが気になる作家に声かけて、その発信の場としてのイベントとなった。この考え方を、CM枠でやったら面白いんじゃないかと。

条件は15secか30secの映像作品。企業が若手作家のパトロンとなる形で、作品を作らせる。どこまで口を出すかはそれぞれの器の大きさ次第か。最初か最後に1secだけパトロン企業のロゴを入れても良い。

様々な作家の作品を見れる機会も増えるし、作家側は発表の場が増える。パトロンはメセナとしての活動の一貫ではあるけれど、普段メセナの活動は社会の生活から見えにくいところにあるのだから、テレビCM枠となれば何よりも発信力があるではないかな?

よっぽどテレビ見ようとする人たちが増えると思うよ。


消費者も新しい枠組み作りを期待している。同じお金を出すにしても、CM枠の使い方を少し変えても面白いかもしれないよね。やってみません?

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