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20160706

他者を信じて生きるのは楽しいかもしれないよ

例えば組織の中で誰かが社会的な罪を犯す。それが皆の知ることとなると「あの組織はとんでもない」と組織全体の評判として広まることとなる。
これは組織が大きくなればなるほど、経営陣が抱える悩みの一つでもあるよね。人数が増えれば、社会的エラーを起こす人が組織に存在する可能性も増えてくる。

「組織の中の1人の評判は、組織全体の評判でもある。」そう言われるほど、組織の信用問題は危ういものでもあるってことのなのかもしれない。ただ、一人ひとりに数百、数千の人間の信用が掛かっていると考えると、ちょっと荷は重いもんだね。

まわりから見る立場として考えた時、その問題を犯した人間の評判は仕方ないものの、組織の他の人たちのことは信じてあげても良いのではないだろうか?


罪を憎んでも人や組織を信じるということ。


悪の組織として、全員で悪いことをしていたのであれば救いようが無いけれど、社会の中で健全に活躍する会社などの組織の中で、ひとりが起こした不祥事に対して組織全員を叩くことは辛くないかな。

例えば、嘘を言う人は嫌いだけれど、嘘をついた人が所属する組織全員が嘘つきと決めつけるにはちょっと無理があるぞ、と。不利益を負った人に対するケアは必要だけれども、組織への態度のあり方は考えたほうが良いよね。

いや、もっと他人を信じてみようよ。ということ。


偏見が持つ盲目にさせる危険性も考えてみよう


結構な愚痴が流れやすい時代の中で、例えば警察など絶対的な信用を必要とする組織の不祥事を叩く動きは一旦火がつくと勢いが良かったりするけれど、それで警察全員を叩くのは少し筋違いかもなと。もちろん確実にダメな奴は居る(笑)、けれど素晴らしい志を持って活動している人たちだって居るのも知ってる。それだけの人数が所属してる組織だよ。

企業なども、社会的な動きもそう。悪い出来事ほどピックアップされやすく、それによって悪いイメージが見えやすくなるとしても、素晴らしい人の存在を結果的に否定してしまう動きは、ちょっぴり愚かな行為なのかもしれないね。

人を信頼して任せると気持ちは軽くなる。上記で言えば、警察の仕事は警察に任せるしかないし、そこに不安抱えていても何も解決できることは無い。(ダメな奴も居ることを前提としても)警察を信用した方が圧倒的に楽になる。
他者の組織に文句や疑いを持ったところで、他者である自分が影響を及ばせることなんて皆無に近いのだから、不必要なストレスから開放されるって手段かもしれない。もちろん「諦める」のと、「信頼する」のは違うからね。そこは取り間違えないように。


他者を疑って生きるより、信じたほうが心地よいかもしれないよ


他人の非を叩くより、自分の時間を有効に使うべく、他人を信頼するって考え方あるかもしれないよ。いつでも揚げ足取りの情報が飛び交っていて、真偽さえも不明確で曖昧なままのフワフワとした状態が気持ち悪いことがある。

なんでもそうかもしれないけれど、他人を疑ってそれを前提に攻め続けるよりも、他人を信じる方が気持ちが楽になることがあるよ。その方が楽しいと思うんだよね。他者を信じることが大切だと思うんだよ。

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