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20160704

時代や状況に応じて変化する強さ

「多様性を持つ日本の文化の良さ…」という一文を見て、「そうか、日本の文化は多様性か」と感じた朝でした。

八百万の神々って気持ちも、最近は生活の中で薄れている気もするけれど元々はそうした「様々に受け入れよう」とする形がそこに現れているのかも。

特に他者を否定しない考え方を説く人は少なくない。もちろん「他を拝むと腹を立てる」みたいな昔話もあるけれど、どちらかと言えば複数の神が生活の中に宿ると感じてる方が自然かなと感じることもある。これだけ多くの人が生活する社会だからね。


多様性は失われているのか?


社会の持つ多様性はどこで変化があったのか?日本人の文化の中に「多様性」は刻み込まれていると感じるし、僕らの世代でもその下の世代でも受け入れている気がしている。
もちろん、仕事上などでは受け入れがたい状況も出てくる。ここに関しては僕もまだ寛容になれない事も多い。(ゴールが設定された中でどう多様性を持つかはこれからの僕個人のテーマなのかもしれない。)

人が住む場所でそうした環境は異なってくると思う。

世代という見方も出来るかもしれないけれど、地域の成り立ちや歴史が持つ風習や文化から、何かを守ろうとするあまりに受け入れられず、結果的に苦しくなり衰退してしまうという悲しき一面もある気がする。

一概に何が悪いとは言えない。ただ「あれだけ歴史があったモノが」という話も、誕生した瞬間があったハズで、そこから考えれば、ふと生まれたものが消えたことでしかない。

何百年、何千年と続いたモノも、過去と未来から見れば点でしか過ぎないこともある。


多様性は対応力としての強さ。


多様性は様々な意見を取り入れることで、時代や状況に合わせて変化する力を持つ。それはずっと続いている様で、実は常に変化していることだと思う。
文化もそうだし、企業などもそうだけど、時代に応じて変化する力を持っているのは、とても強いことだ。

その強さを日本の文化として、それぞれが持っているのだとすれば、とても心強いことだろう。世界の中で活躍する上でも、そうした考え方は強みになるはずだ。

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