こんなジジ臭い思想は、人生のターニングポイントを回ったということだろうか。
学生時代にまで振り返れば、無限に続くものだと思っていた時間。親が年を取り、自分も中年という年代に踏み入れたことで、時間の有限性を実感する。
そう、人一人が体験できる時間は有限なのだ。
娯楽コンテンツを楽しむ時間
技術の進歩によって得られるのも「時間」なのかもしれないと、Youtubeを眺めながら思った。子供の頃は見たい番組があれば、その時間にテレビの前に待機する必要があった。日曜日の午前6時とかにやっていたアニメが好きで、休日の早朝はテレビを独占して見ていた。家族が多かったこともあって、誰も起きてこない休日の早朝は好きだった。親が起きてくると「チッ」って思ったり。
その後ビデオが我が家にも導入されて「録画」という概念が生まれた。自分がテレビの前に居なくても見たい番組が見れるのはもちろん、レンタルビデオを活用すれば映画コンテンツも見れる。これって本当に凄い。
テレビという一方的なスケジュールで縛られて居たものが、時間を無視して自分の都合を持ち込むことができるようになったからだ。
テレビから「時間」という概念が消え去ったタイミングでもある。
技術の進歩が生み出す時間
そしてそれから30年くらいかな?違法合法共にあるけれど、場所を選ばずに映画コンテンツもテレビコンテンツも、個人が作るようなコンテンツも選び放題で、好きなときに好きなだけ見ることができる。コンテンツに「場所」という概念も消え去った。これは結果的に「時間」という部分にもつながっている。
今の生活を送る上で、年齢関係なく「時間」という概念がインターネットによって崩された時代となった。テレビの前で「待機」していた体験を懐かしむか、馬鹿らしいと思うかそれぞれだけれども。
人に与えられた時間は有限である。これは変わらないのだから、娯楽コンテンツに縛られなくなった今は、使える時間が増えたと置き換えることができるかもしれない。
どう生きるか?それを考える時に、限られた時間を実感することが、また難しくなったと言えるかもしれないね。
どう生きる?なにに時間を使う?
人生に於いて「娯楽コンテンツを見ている時間がもったいない」という人もいるだろうけれど、まぁ好き嫌いもあるので否定はしない。でも僕は「ある方が面白い」と思う人間。だから人生に於いて娯楽の時間は大切。楽しく生きる上で、笑っている(泣くという娯楽もあるね。感動もあれば、驚きもあるね。)時間は長いほうが良い。人間というか感情に厚みが出る。そんなことを含めて「時は金以上に、命なのだ」と考えるとしっくり来た。
タイムリミットが必ずある中で、今過ごしている1日、1時間、1分、1秒。どう使うかを評価するのは自分。それも、エンディングの短い一瞬だけしかない。(これ恐い、後悔できないんだよ…)
年寄りだから先が短い、若いから先が長いとも言えないのが人生。
「時は命なり」