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20160710

「仕事をつくる」は「生き方を見つける」ってことかもよ。

最近、個人的に気にしているからこそ気付くことかもしれないけれど、色々な人から「仕事をつくる」というキーワードがあるよね。

言葉の意味としては、漠然と重さも含めて実感しているつもりなのだけど、向き合おうとすると自分に厳しくある一面もあったりして、後回しにしてしまうことも。
でも、しっかり向き合いながら考えるのは大切だよ。必要なことだと思う。


「仕事をつくる」は「生き方を見つける」ってことかもよ。


「仕事をつくる」って、新しい商品を作ったり、看板を掲げたりという、そういうスタイル的な部分では無くて、「自分がどう生きるか」って言い換えることが出来る行為だと思うんだよね。

自分が持っている武器と、周りの他者が求める期待。それらが需要と供給としてバランス取れた時に、経済の仕組みにハマるものなのかな。
自分の武器は、好奇心や興味、好きだとか楽しいとか、そいういう感情を伴っているものだと思う。

「仕事」はもちろん「生き方」は他者から強要されるものでも無いし、自ら課すものでもないし。そう考えると「仕事をつくる」って人生を掛けた大冒険だよね。

自分の「仕事をつくる」については、途中で放棄することも自由だし、一生探し続けたところで最後まで見つからない結果もあるかもしれず。人生の過程においてその都度、どこに喜びを見出すかなのかな。


ブレーキ掛けるのは常に自分って言うけど、不安も恐怖もない人は居ないよ。


生き方を追い求めることって、常に不安や恐怖はつきまとうものだろうね。でも、そこを気にすると本来の目的を見失う。この辺りはのらりくらりと気づかないふりをするのも大切かも。自分をあえて騙したりすること。たまにやる。

あとは、徹底的に不安と思う要素を上げて、ひとつひとつ潰すやり方もあるよね。これも一つの方法。

コミュニティを複数またぐという動き方も大切かもしれないね。
ひとつのコミュニティでの自分の見え方や在り方って、大概ひとつになりがちだから本来の自分が見えにくくなる事がある。人ってどんな人も多角的な複数の姿があるのだと思うよ。
ほら、コミュニティを構成する人たちの能力によって、キャラクターや求められる役割って決まってしまう部分あるじゃない?だから、色々なコミュニティを経験することで、構成する人間が変わるわけで、結果的に自分に求められる役割って変わるのよ。

経験は自分を成長させるだけでなくて、知らない一面を開花させたり。強い自信に繋がったりする。いやこれ大事だな。
複数のコミュニティを経験することで、気持ち的にも安定感は増すしね。視野が広がる。


複数のコミュニティに加わるって、パワーが必要なことだと思うよ。


そういう意味ではひとつのコミュニティに固定化されるサラリーマンってスタイルはちょっと恐いかなって思う。安定感はあるけれど(それが羨ましくもあるけれどw)、自分の可能性を放棄せざるを得ないこともあるよね。

コミュニティが変わると、扱いも変わる。それは良い方向、悪い方向、それぞれの変化の可能性が同等にあるのだけれど、これがまたフリーランスとして色々な経験の中で驚いたことでもある。
冷静に考えれば当たり前なのだけど、環境変われば扱いも見られ方も変わるよね。どの場でも「同じ扱いをされる」なんてことの甘い考えが恥ずかしい。

だからこそ、一度でも「居心地の良さ」を感じてしまうと、そこから離れたくなくなるのは人間の本性じゃない?否定しないし、必ず誰もが持ってることだと思う。だから「居心地が良い」と感じたら、そこを維持したまま、他のコミュニティへも繋がる選択をすれば良い。
いくつもコミュニティを横断するからと、捨てる必要は無いのだよね。どちらかというと「増やす」ことが大切。

どんな役割であっても、良好な関係を持っていたいし、それらを補うのが周りの他者であったり、人生に影響する人々だと思う。その関係をどう作り上げるかは本人次第で、求めるのであれば案外簡単な部分もあったりするし、放棄するのであればそれまでのこと。
ここで大切なのは、他者へも自分へも嘘を付かないことかなって今は思うよ。



気づいた時がいつでもスタートなんだよね。遅いってことは無いんだよ。


「仕事をつくる」という視点は、社会に出たときから常に後回し気味にしている。ここに来てようやく向きあおうとし始めた。無理すること無く、常に等身大でありながら、常に出来ることを増やしていくことが、生きる上での楽しみであり武器であると思うのです。

でもってここで聞こえてくる声は「焦っても良いことは無いよ。でも人生は短い。焦らず急げ」って言葉ですよ。先生、厳しいな。

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