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20160629

若者は無知を武器にすべき。

大学での過ごし方。他大学は良くわからないのだけど、たぶん大枠変わらないのではないかな?

僕が通っていた武蔵野美術大学(ムサビ)での当時の授業は、1年と3年が午前中必須科目(学科系)で、午後が制作時間。2年4年がその逆という時間組だったと思う。学部によっても変わるのかもしれないけどね。

制作の時間は期限までに何らかの提出が出来れば単位が取れるので、その間は工房に引きこもったり、街に出てみたりと、時間の使い方は自由だった。美術の単位評価って基礎的な基準でつけるしか無いから、その部分では自由度は高かったよね。留年とか絡むのは、だいたい必須科目。実技以外の座学で学ぶ授業での単位取得がネックになる友人達も少なく無かった。

順当に行けば必須科目は1年間で2年分クリア出来るので、2年4年は1日ずっと制作に充てられる。制作に集中するもよし、遊ぶもよし、恋愛するもよし、工房から飛び出してインプット増やすのも大切な時間だった。もちろんバイトもしたけどね。


在学中の企業との絡みと興奮を忘れない

授業で企業と絡むことは少なかったけれど、ID(インダストリアルデザイン)の課題で「オルファ株式会社」さんへインタビューへ伺うことがあった。
そういえばアポ取りから、その対応などもザックリは教えてもらえた気がするけれど、バイト以外、社会との接点が無かった学生時代には刺激的な経験だった。

突然連絡をして、連絡させてもらった理由を伝えた上で「一度お伺いさせてお話聞かせてください」と担当者に伝えると、その反応をもらえた事が嬉しかった。当時メールが無いから電話だったね。
オルファさんでは、工業製品として、また刃物を販売する上で気をつけていること、営業、製造、歴史など様々なお話を伺った上でお土産まで頂きました。(この経験から、カッターはオルファ一筋です。この時頂いたカッターもいくつか今でも使ってますよ。)


今の時代の大学のメリットとは

大学時代は自由に使える時間が多いほうが良い。「学費払ってるのだから、学校で教えてもらう時間が多い方が良い」と言う人もいるかもしれないけれど、大学の中だけで学べることは限られていると思っている。
生の情報や出来事の現場は、大学の外に溢れている。自主的な研究以外で、学校から学べる事は、既に評価されたものだったり、過去の出来事でしか無い。

今でも羨ましく思うのは、学校での道具や材料などの環境の充実。パソコンひとつ取っても、学校を出れば自力で揃える必要がある。ソフトウエアもそうだし、実験環境も含めて全部。これらは失って気付く。

どれだけ外からのインプットを受け取れるか、そして、現場へ脚を運んで目撃できるか。それがその年代での有効な時間の使い方って僕は信じている。

もしかすると「大学なんか行く必要無いじゃん」ということにも気付く。最もだと思う。大学の良い部分は上記の様な環境があり、同志があり、専門的な相談相手としての教授との繋がりだろう。
ひとりで街へ飛び出して、それらを作れる才能があれば、大学のメリットは薄いと思う。そして、少し前からそれが出来る時代だと思う。(ふらっと企業やベンチャーに潜り込んで、最新の環境で学びながら、いつの間にか結果を出して、気づけば世界に飛び出してる人も見てきた。)


大学で受動的に得られるものは、それほど特別な事ではない

歴史を振り返れば、昔は情報が限られていて、どの業界であっても情報を得る入口としては大学はとても有効だった。その先端を研究する先生の活動をすぐ側で見れるわけだから。大学には現場があった。

昨今大学の位置づけは変わりつつあるのかもしれない。僕がビジネス寄りの考え方をしているから、研究職に対しては異なる考えかもしれない。何に期待しているのか?ということでもあるかもしれないけど。
情報は検索すれば入口を掴むことが出来る。その入口にアクセスしてしまえば、どんどんと人を頼って、より深い場へ潜り込むことも出来る。今はそれが当たり前の時代。

例えば、去年東京大学から依頼を受けて、CETエリア(中央区、千代田区、台東区の一部を中心としたエリア)での活動の取り組みを現地を歩きながら話す機会があった。
並行して他大学の学生が「話を聞かせてほしい」とメールが飛び込んできて、マンツーマン状態で同じことをした。

貪欲になれば、経験も情報も、どんな立場でも得ることが出来るのだと思う。



無知を武器にしろ。食わずして好き嫌いを語るな。

今期から担当させてもらっている大学では、まだ僕に対して遠慮があるのだと思うのだけど、「もっとこうしたい」「こんな企業の方と話したい」という想像をしていたけれど、あまりない。(あくまで自主的なモチベーションが大切だと思うのと、僕の授業への期待も違う部分で持っているのかもしれないけどね。)

授業中出てきたサービスの名前から、友人を頼り、担当者へ繋がった。ここまでは僕の個人的な興味なので良いのだけど、「話聞きに行く?」って呼びかけに対しての反応があまり良くなかった。
「面白そうなのでいつでも行きます!」は期待しちゃいけないのだよね。期待したけど。


学生が興味に対しては明確に機会を切り分けしている印象は強い。「私はコレに興味がある」という強い気持ちは良いのだけど、そこに少しでも触れていなければ、ことごとく興味を示さない。ちょっと勿体無いかな。

今まで興味が無かった事に対しても、知ったら夢中になる。そんな食わず嫌いの経験って誰もあると思うのだよね。若いウチからあまりにも門を閉ざしてしまうと、可能性を自ら狭めている気がしてしまうのは、ただの老婆心か。

若いころは無知であることを武器にして良いと思う。世の中、知らないからこそ出来ることが沢山ある。知らないのだから、色々聞く、体験する数を増やす方が良い。例え今まで気にしたことが無い分野だとしても、機会があるなら「行ってみよっかな」くらいの気持ちも許されるのが若いってことだと思うよ。


自分の可能性を決めつけることは、愚かな行為でしかない。

色んな機会が世の中には転がっている。それを「チャンス」って言葉で示す人もいるけれど、それは多くの機会の中に隠れている一つなのだと思うんだよね。

あまり格好つけずに、自分の興味を決めつけずに、そして自分の可能性を低く見ること無く、学校からどんどん飛び出して現場を回って、そして学校へ持ち帰ることがどれだけ自分にとって有益なことか。可能性を広げることを知ってほしいんだよね。

ピンと来なければ、騙されたと思ってやってみれば良い。20代の知識と経験だけで世の中を決めつけるには、勿体無いくらい世の中は多様で不思議と発見に満ちているのだから。

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