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20161202

保身しか無い糞ったれな自称教育者たち

高校時代、大学をどう選ぶか。
尊敬している人の出身校。尊敬している人が先生をしている。仕事をする上で必要な知識を得られる学校だから。そんなところだろうか。

どこの大学に行こうか迷った時、このご時世では「就職率」とか見ちゃう。
特に高校時代なんて、社会に対しては不安しかないわけで、何もわからないまま放り出される無知故の恐怖に対しては、この「就職できそう」という感覚は、曖昧ながらざっくりとした安心感がある。少なくとも僕が学生時代はそんなことをどこかで感じていたと思う。

就職率が高い大学は、時代的にも社会にとっても必要とされる知識を得られる。そんな大学なのだろうと胸を弾ませて入学したら、「どこでも良いから内定取ってこい」と言う研究室を持つ大学だった。とは笑い話にならない。

実際そんなことを言われた学生から相談を受けた。ひどい話だ。

就職は悪いことじゃない。社会で生活をする上では、よほどの金持ちでない限り、いや、金持ちであっても働くのは良いことだと思う。
その手段のひとつとしての「就職」という選択肢がある。

そう、あくまで生きていく上での「選択肢のひとつ」にすぎない。
なのになぜ、その研究室は「就職率を上げたい」のか。要はその研究室の教授は教育者としての能力がないからだ。
人を育てられないから、そうした「就職率」「内定数」で自分の評価とする。

まわりもチヤホヤするのかもしれないが、どれだけその人が糞かわからないままに、教師の言うことだからと、もがき苦しみながらも従おうとする学生もかわいそうだ。

でもね、そんな大学多いよ。残念だけどね。
入ってから分かる絶望感は半端ない。

あえてアドバイスするならば、学校に入るまで見えないことも多い。入ってから落胆したとしても、学生という看板を背負っているうちは、色々な場で学ぶ事ができるのだから、前向きにそう考えながら、自分の興味に素直に突き進むのが良い。

そして、「内定取ってこい」と一言でも言うような研究室へは所属しないこと。このあたりは先輩に聞けばわかる。「内定取ってこい」って言う教授は、1mmでも学生のことなんて考えていない。学校に残るための保身でしか言えないセリフなのだと、そこを理解すべきだ。

繰り返すけれど、残念ながらそんな「糞」な先生や学校は少なくない。特に「就職率」を一番の看板に据える様な学校は注意した方がいいかもしれないね。他に自慢する特色が無いって恐いよ。

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